画面のレイアウトが乱れる方へ

 2002年12月27日から10日間、シーズンデコレーションも華やかなブリュッセルとパリで、非日常の時間を過ごして来ました。

 準備万端、憂いなしのはずが、多すぎた備えが憂いを呼び込むという大反省のおまけ付きの旅になりました。
 感動が大前提の毎日では、反省も刺激的というわけで、困惑、驚き、思案や悩みにポイントを置いたエピソードを御覧ください。旅の予定がある方にも、ない方にも、等しく楽しんでいただけるように、“観たことよりも体験したこと”を優先してピックアップすることを心掛けました。

 なお、内容的に「イタリア3都市エピソード」と重複する部分(特に“準備編”)はここでは省略しています。            
               03/01/17 
     ※ イメージは、ブリュッセルから送り返さざるおえなかった多すぎた備え、憂いの原因。

ブリュッセルの4日目 ブルージュ観光、駅の垂れ幕は....カタカナ!

 ブリュッセルで迎えた3回目の朝は、ようやく..の曇り空。
 金曜の夜に到着したわたしたちにとって最初の「平日」
の予定は“水の都”ブルージュへの日帰り観光旅行です。
 段取りはアントワープ観光で了解済みだったので、コンセルジュからはブルージュに停車する列車の情報をもらうだけで、準備は整いました。

  ホテルの前からトラムに乗って“1日券、大人2枚”をリクエストすると、この日はなんとしっかり2枚渡されました。料金はもちろん2枚分で、これまでの2倍.....“2人なのに1枚でノープロブレム”はやっぱり週末割り引きだったのでした。

 ブルージュまでは1時間余の列車の旅です。
 南駅発、北駅経由のアントワープ行きとは違って、始発がブリュッセル北駅だった列車は(わたしたちが利用した)南駅に到着した時点で、空席はありませんでした。北駅寄りに宿泊の観光客はブルージュ行きには有利ですね。
 ブルージュの駅構内は印象に残る設えではなく、駅の周りの景観も“空き地”もどきで“水の都”の景観ではありません。陸路からのアクセスはちょっと興醒めの“運河”の外。“400年以上の間、瞬間冷凍したように機能を停止した町”(旅名人vol.2 日経BP出版センター)はそこからゆっくり歩いて5分程先でした。

 市内地図を見るとブルージュもかつては城壁に囲まれていたことが分かりますが、駅からの道のりにその跡は残ってはいません。そのせいかどうか、現代と中世の境目があいまいで、切り替えができないまま“死都”と呼ばれた町に迷い混んでいくような、不思議な感覚にとらわれました。景観よりも先に空気が変わる戸惑いとでもいうのでしょうか....。観光客も大勢いてざわついているのに、進むにつれて、静寂が満ちてくる感じなんですね。気のせいではなくて....ちょっと留まって、人の流れが途絶える場に対峙すると、静寂が“感じ”ではないことにむしろ驚かされるくらいです。
 通常ならここで「ああ、時間がゆっくり流れている..」と感慨に耽るところですけど、ちょっと、このパターンには当てはまりかねる雰囲気がただよっていました。時間は...流れていない感じなのです。にわか知識のブルージュの歴史が、少なからず「見る目」に影響していたとは思いますが、中世そのままのたたずまいを残す町を観るのはブルージュが初めてではなかったにもかかわらず、町が醸し出す雰囲気は初めてのものでした。
 わたしたちがとった進路では、最初にあらわれるのが愛の湖公園(かつての内港。運河を水門で仕切ってつくられたとか...。)とペギン会院(現在はベネディクト会修道院)だったので隔離感もありました。
 
 13世紀には運河による交通網基盤にして、商業としとして繁栄した過去を持つブルーギュは、砂で埋まってしまった運河によって隔離され、15世紀には忘れられた町になったということで、観光客を集める景観は、いはば不幸な結果の産物です。
 ブルージュには、(侵略者からの)破壊を免れる為にワインを飲み干した市長や、ひざまついて嘆願したという子供達の話が語り継がれることもありませんし、侵略者や詩人に美しさを讃えられたという記録もありません。
  守り抜かれた町と捨て置かれた町の、栄華を留めた美しさは変わりませんけど、誇りに満ちて時を経た前者と異なってブルージュには哀しさが付きまとっているように思うのは、気のせいでしょうか....。

 ブルージュを400年の眠りからさますきっかけとなったと言われる小説「死都ブルージュ」をわたしは読んでいないので、19世紀に脚光を浴びることになったブルージュのイメージはわかりませんが、でも、その頃にヨーロッパ各地から観光客を集めるには“中世の景観”だけでは不足ですよね。この町特有の、忘れられて過ぎた時が人を引き付けたのだと思います。
 観光都市としてよみがえってからの100年余はそれ以前の400年とは全く違う時間が流れたはずですから、今わたしたちが目にするブルージュは誇り高き中世のたたずまいであってもいいはずなのに、なお静寂と哀愁に染まっているようなのは不思議と言えば不思議ですね。
  冬の曇り空の“効果”もあったかもしれません。

 今やベルギー観光の目玉と言われる町ですから、季節が違えば、痛々しいような憂い顔のかわりに、ロマンチックな中世の残影を堪能できるのかもしれません。本来の機能を失った水路の水面も、夏の日差しの中では輝きを増すのでしょうし、おそらくはもっと多くの観光客が静寂を彼方に押しやるのでしょうね。
 でも、ブルージュで感じるべきは、よき時代の名残りではなく顧みられなかった時間の記憶のような気がします。

 目で見えないものにひどく心を動かされる....冬のブルージュは、そんな町でした。
 
 もちろん、ブルージュにも市民が集い、観光客が集まる広場があります。
 幾分感傷的な気分で到達したブルク広場(右イメージ)は町発祥の地ということで、歴史的建築物に囲まれています。
 イメージ正面左寄りの、建物と建物の間に挟まれたようなのが、キリストの血とされる液体が奉納されている聖血礼拝堂で、1階と2階は様式も時代も異なる建物だそうです。
 やたらと人が集まっているので、一緒について中に入ったのですが、閉館時間際だったようで、2階に到着するなり退館を促すアナウンスが流れました。薄暗く狭い礼拝堂をとりあえず一周してきたものの....聖なる血が納められていると知ったのは、慌ただしい見学を終えて出てきた後ことでした。
 ガイド本では聖血礼拝堂のイメージは掲載されていないか、正面のアップが大きく紹介されているかだったので、わたしは独立した大きな礼拝堂を想定していました。認識不足のまま入って、素早く出てきたという、お粗末な結果に終わったのは残念です。素通りしてしまうよりはマシでしょうか...。人の集まるところには何かがあるという教訓ですね。

 このブルグ広場と隣あう場所にあるマルクト広場(右イメージ)には、スケート場と屋台が登場していました。
 町が、現実の時間をちゃんと刻んでいるようで、 なんとなくほっとしました。

 ブリュッセルのグランパレスでクリスマス飾りを観た時には中世の景観を現代の飾りが邪魔をしているなどと思ったものでしたが、ブルージュでは正反対の感覚にとらわれたのが自分でも、面白かったです。
 ただ...広場の中央ある“自由ブルージュ”の旗を支え持っているふたりの銅像は木の影になって、観光客には“わけのわからないもの”になってました。
 
 この後、イルマで買い物をしている間に本降りになりました。運河を打つ雨の風情よりも、(せっかく手にいれた)レースが大事ということで、トイレ休憩を兼ねて避難した建物が....ふりかえってみると特定できません。美術館か博物館だと思ったら、中に見るべきものはなく、小さいショップがあっただけ...。トイレはありました。なんだったのでしょう?

 左は(到着時)構内にに印象に残るものはないと言ったブルージュの駅になります。
 外観も御覧の通りで、徒歩5分の差で別世界ですね。
 
 ただ、帰り際、駅が見えてきたところで突然主人が声をあげました。垂れ幕を指して「 あれはなんだ...」と...。
 青い垂れ幕には『ロスト・ロケーションズ』とありました。
 ここでカタカナ目にする奇妙さを主人が“力説”するまで、わたしは粋な日本語約に悩んでしまいましたが...ブルージュ観光に訪れる日本人がいかに多いかということを裏付けるカタカナの幕が、ブルージュでの最後の景観というのは.....強烈でした。

                                          03/09/30 

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