フィレンツェの1日目
右はミケランジェロ広場の丘から見たフィレンツェの街並みです。
中央の一際大きな建物が、この街のシンボルとも言うべきドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオ−レ大聖堂)。あまりにもポピュラーな景観で、書店に行ってイタリアのガイド本か、世界遺産の写真集などをめくれば、すぐにお目にかかれるイメージですね。だから、わたしがデジカメで撮ったイメージをココにわざわざ置く必要もないのですが、当初は実際に見ることを諦めていたので、わたしにとっては思い入れのあるイメージなので
...おつき会い下さいませ。何度見ても、損をするイメージではありません。
ローマからフィレンツェに、列車で移動したわたしたちがホテルに落ち着いたのが1月1日の14時を回った頃でしたが、この日はもちろん美術館も店も開いてはいません。だからといって部屋でのんびりお茶でも、という気分になれないのが、旅行者の悲しさ...でしょうか? 一期一会になるかもしれない街なのですから、日が落ちるまでの数時間でも歩いてみようかということになりました。
チェックインの時にホテルのスタッフがあれこれと説明しながら、お薦め観光ポイントを地図の上で塗りつぶしてくれましたが、ミケランジェロ広場の丘にも、当然ながら大きなマークが付いていました。とっておきのビューポイント、ですけど、そもそもわたしは上り坂が大の苦手で...小学校の登山遠足だって挫折した人間なので、丘の上は我が家の観光スケジュールから外していた場所でした。
「わたし、がんばる!」と言う気になったのは、ホテルのスタッフの“ラッキー!”という一言でしょうか。
この景観を直接見る為に時間を割いていたとしても、運がなければ、雨の日、曇りの時を嘆くしかないのに、申し分のない条件の日にラッキーな人にならずにいられようか、というわけです。
冴えた空気の中、アルノ川の水面が鏡さながらに建物を写し出す様(右、イメージ)に歓声をあげる時間も惜しんで、わたしたちは丘を目指しました。行きだけでもタクシーを利用すれば、焦ることも、息切れすることもなかったかもね、と後になって思いはしましたけど、もちろん、街は歩いて見るのが一番という考えは今も変わっていません。
ところで、イタリア旅行のスケジュールが出来上がってから、CS放送の深夜に、ドイツやイタリアの街を紹介する旅ガイド的なプログラムがありました。旅人役の若い女性タレント(なのかな? 知らない人でした。)を、現地に住んでいたり、留学中という日本人の青年(若かった。)がエスコートして街を案内するという設定でした。1都市2時間ということで、かなり期待をしましたし、実際に動く映像はいろいろと分かりやすく、参考にもなりました。
ただ、旅人の若い女性のキャラクターが......わたしたちには好感が持てなかったのが正直なところで、特にイタリア編では長い時を越えてきた事象に対峙する際の謙虚さ、のようなものが全くなくて、「ああ、もう、興醒め!」と言いつつ見ていたのですが、フィレンツェではエスコート役の**君が結構遠慮なく物を言うので、時に気分がスカッとしたのを憶えています。
その**君の強烈な名言は番組の終わり近く橋の上からのアルノ川を眺めながらのこと。
「どう、この景色?」という問いに「きれいだね〜。」と答えた旅人に対して「それだけ?」と彼は溜め息をついたのでした。「この景色見て、そんな言葉しかでてこないなんて...さびしいね。」と...。遠慮のない見解でしょ?
旅人に少なからず嫌気が差していたわたしたちは、その時ケラケラと笑ったものでしたが....実際にこの場に身を置くとやはり、口をつくのはきれいだね、という言葉でした。困った、困った。

空の色におもてを染めて、流れも静かな川の水面は
磨き抜かれた、鏡にも似て、
歴史を背負う、現(うつつ)の街を写し出す。
水面の中の幻は、現に寄り添い、夢の美観を産み落とす。
はかなき夢の、時を超えた、いとなみは
現を愛でる、人の思いの賜物かな。

**君が、この景色を見て詩のひとつもできないの? 言っていたのを思い出して、簡単にまとめてみました。
フィレンツェの1日目は、息切れ以外はさしたるトラブルもなく、感性を磨いた数時間だったのですね。
もっとも、まだ大丈夫と思っていても、暗くなるのはあっという間で、シニョーリア広場まで戻ってきたところで、帰り道の確認が必要になりました。主人が広場のまん中で見ているのは、ホテルのスタッフが(ホテルまでの)最短距離をマジックでなぞってくれた地図です。
よく、ガイド本などでは、悪さをする人に目を付けられやすいから、迷い子のごとく地図を広げるのはやめまよう、と書いていますけど、地図を広げなきゃ、本当の迷子になってしまいますから、やむおえませんね。
わたしが、少し距離を置いているのは、主人の回り全体を警戒する為ではなくて....単にこのイメージが欲しかったからですが、この時、主人は背中のリュックにも注意を払っていたのでしょうか?
あらためて考えると、ローマのテルミニ駅の無事な脱出(?)に成功した後、わたしたちの警戒心は少し弛んでいたようです。街の美しさに酔っていたせいかもしれません。
01/09/07 
戻る
|