画面のレイアウトが乱れる方へ

 

 ローマ、フィレンツェ、ヴェニスを12日間の急ぎ足で見て参りました。
観光名所やお勧めスポットなどは、美しい写真と共に多くのガイドブックで詳しい紹介を見ることができますから、ココで観光ガイド的な旅行記を展開することには、あまり意味を見出せません。
 たとえば、コロッセオの迫力を説明して、それを見たわたしの感想を伝えることよりも、駅前で剣士の衣装を付けたおじさんと一緒に写真を撮ってから、請求された金額が果たして妥当なものだったのかどうか、いつまでも悩んだというようなエピソードを中心に進めていくつもりです。         
                           01/01/16 
 

   

ローマの3日目

 
この日の観光のメインはヴァチカン市国
 世界最小の独立国で、見どころはカトリックの総本山のサン・ピエトロ寺院ヴァチカン美術館システィーナ礼拝堂にはかの有名なミケランジェロの「最後の審判」! どうやら、外せない観光スポットらしい、ということで、丸1日はヴァチカン見学にかけるつもりでした。ヴァチカン美術館見学に半日では欲求不満になりそうだということで否定的な見方をしていたツアーは、 現地で、尋ねたところ、美術館内でのツア−離脱も可能、しかも宿泊先のホテルまで迎えに来てくれるというので、安易に飛びついてしまいました。

 ツアーに関しては、一長一短あるものですが、今回は特にロスタイムが気になりました。ホテルまでのお迎えはうれしいのですが、そこから連れて行かれるのは、ヴァチカンではなくてツア−発着の事務所前なんですね。
 市内のホテルからお迎えの車に乗ってやってくる各国のツアー参加者が集まるまで、相当の時間がかかりましたし、それから言語別にバスに振り分けられたものの、日本語ガイドのバスの出発は最後で、しかも、当日の申込者か、先のバスに遅れた人たちなのか...ポツリ、ポツリとやってくるゲストもいて、バスが満席になるまで待たされたという感じでした。(出発してからも、追いかけてくるゲストを待って、途中でしばらく停車しましたし...。)その日、たまたまそうなったのか、文句をいわない日本人のおとなしさ(?)を見越して、日本語ガイドのバスを最後にしているのかは分かりかねますが、ただ、ツアー料金も先払いだった日本人は事務所前に集合した後、他の国の人たちのように狭い事務所の中で押し合いながらツアー代金を支払う必要もなく、即出発できる状態にあるわけです。早々と集められて、外で他国のゲストが支払いを済ませるのを待つのみならず、出発していくのを見送って、遅れてきたゲストまで待つというのは愉快ではありませんでしたね。
 移動が楽だとか、チケットを買う手間がないとか、ごく一部とはいえポイントを押さえた案内を受けられると言う利点もありますが、入場に際して、長い列(常よりはマシだったそうですが)の後ろに並びながら、ホテルを出た時間に直接向かっていたら、とっくの昔に入れていたものを、と思ったものです。

  ところで、美術館に入る為には要塞のような塀(左、イメージ)にそって並ぶわけですが、この塀の内は独立国、ヴァチカンです。 美術館に入るというより、入国するという意識で並んでいたわたしは、パスポートチェックがないことに戸惑いながらの入場でした。
手荷物は、ハンドバッグもエックス線によるチェックを受けたのですけどね...。
 20世紀最後の記念すべき年に、ヴァチカンの入国スタンプを期待していたんです。わたし....。

 入場までは並んでも、中での見学はゆったりとできたルーブル美術館大英博物館と違って、ヴァチカン美術館は館内も混み合っていました。ガイドさんの真側にいなければ、 隣のグループの説明の声に邪魔されて、日本語が聞き取れなかったかと思います。
 クライマックスのシスティーナ礼拝堂は、おしゃべり厳禁なのでガイドはなし。
 感動するもしないも、頼りになるのは自分の感性だけ、ということになります。ちょっと、正直に打ちあけると、この時、礼拝堂の中は人と触れあわずには動けないほどの混雑で、わたしの感性は警戒心で少々鈍っておりました。
 半日ツアーの日程は、この後美術館を出て、サン・ピエトロ寺院を見て帰路につくことになっていましたが、はるばる、日本から来たのだから、絵画館なども見ておいた方がいいというガイドさんの勧めもあって、わたしたちは、ここでツアーから離れました。館内のビュッフェで、遅めの昼食をしっかりとってから(それでも、ケーキも含めてパスタもサラダも、ひとつづつで十分。)またしばらく館内を見て回ったあと、
サン・ピ エトロ寺院を目指すべく、美術館をあとにしました。
退館の前には一応、ツアーで案内される予定の螺旋階段も探し出しましたが(右、イメージ)残念ながら、修復中。


 美術館を出た所は、再びローマ市内。数時間前に入った入り口すぐ横に見える場所でした。せっかく入ったヴァチカンから吐き出されてしまった事実に、わたしは、しばし呆然としました。さすがに、出る時に「出国チェック」を期待してはいませんでしたけど、美術館システィーナ礼拝堂サン・ピエトロ寺院は隣接している、というよりも繋がっているのですもの。広場に近い位置に出口があったっていいじゃないの、と...。
 数時間かけて内部を見学した
美術館の外側を迂回しながら、遠回りさせられることの不満を訴えると、観光客が自由に出入りできる場所が限られているのだろうと、主人は大人の理解を示しました。(足がだるくなっていたわたしは、大人の考え方ができなかったのですね。)
 帰国後、資料のひとつを読み直して分かったことですけど、外国人のヴァチカンへの入国には事前の申請が必要とのこと。ただし、ヴァチカン美術館サン・ピ エトロ寺院、つまり観光客が目指すエリアには誰でもが旅券なしで入れるのだそうです。(ほんとに、予習で、どこを読んでいたのやら....。)

 その、もうひとつの旅券なし入場見学が可能な
サン・ピエトロ寺院ですが、こちらは広場を埋め尽くした人垣に阻まれて、近付くこともできませんでした。
美術館には並ぶ覚悟でと解説しているガイド本は多いですけど、寺院の内部見学に関しての混雑状況に触れている資料がなかったので、甘く見ていました。実際にイタリア旅行をしてきた友人や知人からも、サン・ピエトロ寺院に入るのに苦労したという話は聞きませんでしたし...。
 やはり、2000年12月30日、という日にちが悪かったのでしょうね。人の列はどこが最後尾なのか判別できませんし、そもそも、見学の為に並んでいるというより、ここで21世紀を迎える為に集まってきたという感じでした。人は増える一方でしたから...。
 残念ながら、主人もわたしも、この中に加わる気力がありませんでした。大きな大きな、宿題を残してきた感じです。

 
サン・ピエトロ寺院の見学がカットされたことで、多少、時間の余裕ができたので、ナヴォーナ広場パンテオンを見て回りました。知らないうちにヴァチカンの国境を超えていたようです。
 ナヴォーナ広場は移動遊園地や出店で賑わっていて、なんとなく、街の空気は、12月31日を翌日に控えて興奮状態にある感じでした。広場に到着する前に、わたしは通りのスポーツショップに飛び込んで、ナイキのスニーカーを購入。その日、履いていたドイツ製のたっか〜いウォーキングシューズが、途中から足に合わなくなったのでした。かかとに空気の入ったスニーカーは、わたしを元気にしてくれましたが、スニーカーはトランクのスペースを取ります。スペースを確保する為に、この日の夕食は日本から持参の炊き込みゴハンと、それからカップラーメンも消費しなくてはならないことになりました。

この日、印象に残った食べ物は、広場の屋台で買った焼きぐり!
見事な大きさで、しかも、まん中から弾けて裂けた皮は、片手で綺麗にむけるのので、全くストレスを感じることなく食べられる優れものでした。
想像していたよりも、甘味が強くておいしかったですね。いかにも再生紙という素朴な紙で円錐をつくって、そこに栗を入れて渡してくれます。
 広場にいた屋台のおにいさんは、値段を表示していなかったのでお値段を聞いてから買いましたが
値段は、その後で見かけたどの店も同じでした。
 ただ、むいた皮が厄介で....。
  食べ歩きは珍しくない街では、ゴミ箱は常に満杯です。自衛策として翌日からは、ビニールのゴミ袋を持って歩くようにしました。


                                           01/03/23  

  戻る