画面のレイアウトが乱れる方へ

 

 ローマ、フィレンツェ、ヴェニスを12日間の急ぎ足で見て参りました。
観光名所やお勧めスポットなどは、美しい写真と共に多くのガイドブックで詳しい紹介を見ることができますから、ココで観光ガイド的な旅行記を展開することには、あまり意味を見出せません。
 たとえば、コロッセオの迫力を説明して、それを見たわたしの感想を伝えることよりも、駅前で剣士の衣装を付けたおじさんと一緒に写真を撮ってから、請求された金額が果たして妥当なものだったのかどうか、いつまでも悩んだというようなエピソードを中心に進めていくつもりです。         
                           01/01/16 
 

   

ローマの4日目
 
 ローマ観光の最終日です。
 幸い、雨の心配は皆無といった上天気でした。見学の予定はコロッセオフォロ・ロマーノ。終日屋外にいることになるこの日、わたしは前日に買ったスニーカーを履いて出発しました。3万円近いウォーキングシューズより、買ったばかりのナイキのスニーカーの方が足に合ったようです。
 
 スリ、置き引き、ひったくりの多発地帯といわれる地下鉄を利用して、コロッセオに向かいました。切符を買う時、改札を通る時もコートの下のポシェットには必ず手を添えて、地下鉄に乗っている間はポシェットを両手で前に抱え、さらに主人の身体でバリケードを作るという万全の警戒体制でしたが....警戒し過ぎて、回りから浮いてない?という、もうひとりの自分の声が聞こえるような気分でした。
  その反動ではないのでしょうけど、駅から出て、コロッセオの偉容を目の当たりにした瞬間、お上りさん観光客になってしまいました。剣闘士、というのか、古代ローマ戦士の格好をしたおにいさんやおじさんがウジャウジャ。キャーッてなもんです。カメラ、カメラ、とにかく写真を撮らなくては...と、立ち止まっていると、剣闘士さんがふたり近付いてきました。「どこから来ましたたか〜?」「オ−、ホッカイドー。行ったことあります。雪が降ります。」「一緒に写真撮りましょー。」「こわくありません。」(ちなみに、全部英語。約すとこんな感じになりそうな雰囲気。)
 で、撮ってしまったのですね。 剣闘士の衣装をまとったおじさんに挟まれて、たのしそ〜に! 日本の観光地のように、プロのカメラマンが記念撮影をしてくれるのではありませんよ。自分達のカメラを使って、自分達で撮るだけ。剣闘士さんたちは、雰囲気作りのモデルです。自分はいい、という主人にも、せっかくだから、と3人で(剣闘士おじさんとわたし)勧めました。ニッコリ笑って、ハイ、ポ−ズの後、主人とわたしのふたり分で、請求された金額は10万リラです。主人は、当然有料だと思っていたそうですが、白状すると、わたしは、『それなら、最初から言ってよ。』という気分でした。別に、並んで写らなくたっていいんですから。でも、なにしろ、白昼、大勢の観光客が行き交う中での堂々とした請求でしたから、支払いを拒否するという発想は全くありませんでした。ものすごく高いのでは、としみじみ感じたのはコロッセオの入場料、1万2000リラを払ってからでした。有料はやむなしとしても...金額は、日本人だから多めに請求されたのではないかという疑惑が浮上すると、にこやかに笑いかける剣闘士さんたちが、みんな悪者に見えてしまいました。この疑惑は、長く尾を引きましたが、帰国後に彼等が公務員だと言うことを何か(何だったのか...。)で知って、一段落したはずなのですが...。
積極的にお見せしたいものではありませんが、お上りさん観光客の証拠写真が左のイメージです。主人の方が、もっと“いい顔”をしているのですけど、掲載許可がでません。恥を晒すのはイヤだそうで...。わたしもイヤですが...これからロ−マに行く方たちは、この格好のおじさんたちには気を付けて下さいね。おじさんたちは、お商売をしているので、一緒に写真を撮る場合は、事前に金額を確認した方がいいでしょう。
 実は、5万リラを請求されたので、高いと言って泣きついたら半額に負けてくれたという書き込み(Yahooの掲示板。「今は笑って話せるけど、というエピソード」)があって、ショックを受けたのですが、その方のお友達は 何をを言われているのか分からない振りをして支払い回避に成功したそうです。今時分になって、とどめを刺された気分です。
 おじさんたちのモデル代は、交渉次第というところでしょうか。

 さて、コロッセオです。外壁を覆っていた白い大理石は、中世の頃に建築材としてどんどん剥ぎ取られたということ、修復が始まったのは19世紀になってからだそうですが...。 放置されていた期間に比べれば、ついこの間から手を入れられ始めたと言うところでしょうか。わたしたちが見てきたコロッセオの外観は下のイメージのように白く美しいものでした。
 21世紀を前にお色直しが終わっていたのでしょうか。帰国してから、世界遺産の紹介本などに掲載されている外観と色が違うことに気がつきました。感慨深いのは、これが“綺麗になった”のではなく“紀元前の姿に戻った”らしいということです。
 19世紀から今に至っても、 内部はまだまだ、顧みられずにいた時の長さを感じないではいられない状態で、これからいったいどれだけ長い時間が修復の為に費やされるのだろうと...。200年かかってもようやくここまでなのに、その10倍以上の時間を遡った昔にコロッセオは完全な姿でココにあったのだという事実は、宇宙人の存在よりも想像することが難しい感じがしました。
  この、巨大な遺跡のまわりでは、整備された道路を、カラフルでおしゃれな車が行き交っているのですけど、22世紀の夜明けに、コロッセオの回りを走っているものはなんなのでしょうね。

 コロッセオを後にして、いざ、フォロ・ロマーノへというところで、わたしたちは初めて道に迷いました。上から見る事はできるものの、中に通じる入り口が見つからなくて...。
 発掘された遺跡群はそれぞれに意味があるようですが、ひとつひとつに感動するだけの時間と体力の余裕がなくなってきていました。それに加えて、主人もわたしもお手洗いが恋しくなりかけていました。朝、ホテルを出てから、持参したミネラルウォーターで水分を補給をしていても、出す機会がなかったもので....。
 そこで、(地図を頼りに)カンピドリオ広場に向かいました。ここに美術館があったからです。美術館に、トイレはつきもの。ところが、ものすごく不幸なことに、地下の分かりにくい場所にあったトイレは故障中! トイレの為に入場料を払ったようなものなのに、目的は達成できず、急ぎ足で写真だけ撮って退館しました。あとで、分かったことですがこの広場の設計者はミケランジェロで、広場のあるカンピドリオの丘紀元前5世紀よりローマでもっとも神聖な丘として発達してきたとか...。ゆっくりとできなかったことが悔やまれました。(トイレさえ、故障してなければ...。)
 トイレ、トイレ、と言いながら、わたしたちはそこからまた真実の口をめざして、順番を待つ列に並んで記念撮影をしてきました。こういう時に限って、回りにカフェらしきものもありませんし、後はもう、急ぎ足でスペイン広場までがんばるしかない、と覚悟を決めたわたしたちを救ってくれたのが、ヴィットリオ・エマヌエ−レ2世記念堂です。
途中のヴェネチア広場にあったものですが、この時は予備知識がなく、しかも入場料もいらない様子なので、期待はできないといいながら立ち寄って、思いがけなく清潔なトイレに迎えられました。今から考えると余程切羽詰まっていたのでしょうね。建物が命の恩人に見えて、(見学はしませんでしたが)写真だけは撮ってきました(右、イメージ)。実は、この記念堂はトイレの修理を怠っていた美術館の近くにあったもので、先に見つけていれば、真実の口との記念撮影はもっといい笑顔ができていたかもしれません。 

 21世紀まであと数時間。
 広場と名の付く界隈にはオレンジのユニフォーム姿の消防士さん(かな?)たちの姿が目立つようになりました。前日に見た時に、足場が組まれていた塔やオベリスクは下の方から板に覆われていて夜の騒乱への備えのバッチリ!(最初は、今頃になってから修復作業を始めなくてもと思ったものです。)

 夕方になってもスペイン広場から続く通りの店は開いていました。その賑わいに、期待を抱かされて、“昨日、見かけたチョコレートショップ ”に寄り道をして、大きなマロングラッセとチョコレートを購入。店のスタッフは親切でしたが、挨拶程度の英語が通じるだけ。数十種類のチョコレートの中から、わたしの好みを伝えることができません。ショーケースの中のラベルはイタリア語で、確信が持てるのは紅茶とコーヒーのフレーバーくらいで、あとは頼りない記憶と想像力で勝負という状況でしたが、好きじゃない味が混ざるのはイヤだったんです、わたし。
 すると、奥のレジで支払いを終えたおばさまが通訳をかってでてくれました。スタッフがベラベラベラと、何かを話し掛けてましたから、頼んだのかもしれません。お陰で、好きなフレーバーを選ぶ事ができました。
 20世紀の最後のお買い物は、知らない人の親切、というおまけ付きでした。
                                         01/04/27
 

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