苫鵡の達人
1999年春、、紙面をリフレッシュされた『苫鵡の達人』の再発行がスタートしました。
二つ折り仕様の4ページ(?)構成で、紙質も印刷の質もよくなって、以前のチラシ風情報紙からグレードアップした印象はありました。趣味の新聞部の情熱的な活動が認められて、公的に資金が投入された...という話ではむろんありませんけど、そんな感じの変貌でした。
ただし、季刊で、発送頻度は年4回。
前身の月刊『苫鵡の達人』の後半で目立ってきた、製作スタッフによる体験レポート類の記事は収まって、1999年は春夏秋冬のトマムの様子の紹介に重きが置かれています。春は水芭蕉の話。夏は森...木の見分け方や森林浴の話、秋はお月見、冬はトマムに振る雪の結晶の話など、ホテル、スキー場、ゴルフ場などの施設から視線を動かして、自然の恵みにスポットをあてたような内容でした。
日常から隔離された大自然の中にある都市の快適さはトマムの魅力のひとつだと思いますが、あるだけで充分な大自然に少し近づいて、ふれて、小さな発見を刻むヒントのような記事でした。
レストラン紹介では、カメリアコーナー、四季がよく取り上げられています。
ルミエールも、やま里も、桃里も、営業が限定的で、三角も含めて、レストラン事情に変化が生じた頃ですね。リゾート・マネージメントの運営になって、まずは予約の廃止、禁煙席の廃止、食券利用に差額対応でのコースの選択不可など、大雑把に言えば改悪続きでしたから、似顔絵とともに紹介されるシェフのコメントや、フェアのアピールを読んで、醒めてしまいそうな気持ちにブレーキをかけていた気がします。開発者が描いたトマムリゾートはもう、完成はしない。むしろ壊されて行く気配を禁じえない中で、我家も、そして多くのリピーターも,トマムとの縁を断たずに踏みとどまったのは、厳しい時代に、トマムの魅力を発信し続けた『苫鵡の達人』に象徴されるようなスタッフ力にひかれていたからでしたっけね。
店が営業しないので言葉をかわす機会も無くなったスタッフの連載寄稿を読みながら、トマムに、かのスタッフはちゃんといるということに心強さを感じたものでした。
一方で、季刊では社外協力者(?)の丁寧な紹介も目立ちます。トマムで販売しているジャムや蜂蜜の製造者、冬の新たな名物となるアイスドームの研究開発者、冬季トライアスロン企画の参加者など。
そして、2001年冬号から“トマム20周年企画”が始まります。
トマムの底力という頼もしいタイトルで紹介されていたのは、開発に関わり20年、トマムを育み、支えつつけてきた“仕事人達”の奮闘ぶりでした。4面上部には、連載が始まった“されど、我らの時代”が、1982-1983 リゾート第1期竣工までの道程からアイスドーム・プロジェクトまでを振り返る企画でした。リゾート列車、ゴルフ場、ヴィズスパハウス....同じ時を過ごしたスタッフの記憶は、わたしたちには見えなかった苦労話も満載ですが、アルファ・リゾート・トマムへの想いは溢れていて、心に響きました。
不器用にガタゴトと揺れながらゆるりと上るひとり乗りのリフトで運ばれながら、山頂からリゾートセンターまで、ケーブルを抱えて走り下りた経験を持つスタッフの20年を思い、もはや快適とは言えないクラシックなリフトをも、愛おしく感じましたっけ。
開発者が去り、運営会社が変わり....でも20年間トマムを生み育ててきたスタッフは変わらないんだからと...季刊『苫鵡の達人』に、スタッフ力を見て、燃え尽きることの無いトマム・スピリッツを信じて過ぎた数年でした。
最終号はVol,22 2004年の夏号。
発行人は、前号までとは別人で、編集後記では、3月半ばにトマムにきて、雪の白さ、新緑のキミドリ色、トマムの自然が織りなす美しさに感銘を受けたとお話されています。続く秋から冬の“トマム色”に期待を寄せられていいましたが....達人最終号の発行人が、トマム歴数ヶ月だったと言うのは、複雑ですね。
2017/11/10 
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