迷走3ヶ月
      告知なき....子宮体がん

受診〜手術決定

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。

 2014年5月中旬、とある日の明け方、私はわずかな不正出血を自覚しました。

 指の爪大の赤色の帯下はその時は一度限りのことでしたが.....ただ、前年末に、一週間程時期外れの生理(?)の襲来を受けてビックリした記憶が蘇りました。年に一度の健康検診で、子宮ガン検診を受けてから数日後のことで、検診を受けたクリニックに連絡したところ、ガン検診の後で出血が見られるのはよくあることで、長引く様子がなければ心配しなくても..という回答でしたっけ。生理と見紛う出血は1週間程でおさまり、また、検診の結果も『ガン細胞認めず』だったので、そのままにしてしまいましたが、数ヶ月おいてのわずかな不正出血を、気にする根拠になりました。
 考えてみれば、毎年ガン検診はうけているのに、生理もどきの出血は初めてのことだったんですから....。気にしながら過ごすのはストレスもとと言うわけで、わたしは、2回目の出血があった当日の午前中に総合病院の婦人科を受診したのでした。

 原則予約診療の病院でしたが、電話で問いあわせると、紹介状も予約も無い状態では、待つことになるけど診てはくれるという...。実際にはさほど待たされることはありませんでしたが(医師の希望があるかと聞かれましたが、分からないので希望なしにしました。)診てくれたのは、研修医の名札をつけたA医師。問診、内診、経膣超音波診、細胞診が行われ、超音波診断で、子宮内膜が厚いことを指摘されまして.....厚いとど〜なの?といえば、不要な厚みは「何かある...。」と...。体ガン....ポリープかもしれないけどとは言いながらも、A医師は体ガンの疑いをもたれたのでしょうね。受診した時には...といいましょうか、受診しようかかと思い立って、病院に電話をかけた頃から以降、出血の自覚は無くなっていたものの、膣内ではわずかに細い糸のような出血が診られるとのことで、1週間後、細胞診の結果が陰性だったにもかかわらず、組織診とMRI検査を受けることを勧められました。
 組織診の結果が出るまで2週間、それまでにMRIを受けておけば、より正確な判断出来るからというのですね。もちろん、仰せのとおりに...初MRIも経験することになりましたが、正直なところ、あくまでも念のためという感覚で、私にはさほどの深刻感はありませんでした。というのも、すでに受診の切っ掛けとなった自覚症状はどこへやら...状態でしたし、細胞診の結果も陰性だったし....。

 ところが、組織診で、異型細胞が出てしまいました。
 複雑型子宮内膜異型増殖症。3割がガン化する...実際には(摘出した子宮から)3割にガンが見つかるだったか...とにかく,経過観察云々ではなく、子宮卵巣の摘出手術の提案を受けました。MRI画像でも子宮内に9mm大の腫瘍 (これが、超音波診断で言うところの厚み)がうつっていて、 体ガンの疑い有りとの判断でした。

 予想外の手術...とはいえ、初受診から細胞診の結果が出るまでの1週間 (この間が一番のストレスでした)の間に、私も子宮体がんについて情報収集はしていましたから、まさか...という類のショックはありませんでした。

 実は細胞診の結果を聞きに行った2回目の受診時に、A医師には、もし手術をすることになった場合は、可能なら、腹腔鏡での手術を選択したいという希望を伝えてありました。20cm近くお腹を切るかわりに、1cm前後の孔を数カ所開けるだけで出来るなら、その方が....ねえ。
 腹腔鏡手術は初期の子宮ガンに対して行われる先進医療ということで、保険がきかない...。ただ、契約している医療保険で医療費はカバー出来るし...と考えていたら、なんと、今年の4月から健康保険の適応となった...らしい。 つまりは標準術式となったわけで、迷う必要も無い気がしました。ただ、標準になったからどこでも出来るかといえば、3月まで行われていなかったことが、4月になったからとすぐに出来るわけでもないわけで、事実、受診した病院では腹腔鏡手術はおこなわれていませんでした。

 そこで、これから先は、先進医療として腹腔鏡手術を行ってきた実績のある、我家から比較的近い大学病院で診てもらいたい本音も伝えたんですが、細胞診陰性の時点では紹介状は書けないということでの、組織診、MRI検査だったんですよね。
 で、体ガンの疑い有り、要子宮全摘手術の診断が下って、大学病院への紹介状を頂くことができました。
 A医師から大学病院担当医師への手紙と、MRI画像のデータ(CD)が準備され、地域包括センターなるところを通じて、大学病院の予約もとってくれました。

 予約日はルスツ帰りの翌日。
 予約、紹介状有りとはいっても、初診は待たされました。それでも、私よりも早く受け付けを済ませた他の初診患者よりも早く呼ばれたのは、包括センターを通じてきたメリットだそうです。

 大学病院での担当はB医師。
 先の病院から持参したデータを見ながら、「腹腔鏡手術をご希望なんですね。」「はい...お願い出来ますか?」「ちょっとやせてもらわないと...。」「え?このままじゃ手術していただけないんですか? 」「そんなことはないですけどね....。」と、まあ、疑わしき子宮体がんの症状よりも,私のお腹の脂肪が深刻との見解(?)を受けて、私は約1ヶ月の真剣ダイエットに取り組むことになるのですが....それはさておき、手術に向けての準備はトントントンと進みました。
 B医師により、改めての組織採取、結果を聞きにくる2週間後には、術前に必要な検査もしてしまいましょうと、心電図、X線、肺活量等の予約も入れられました。
 で、2週間後、指定を受けた検査を全て終えて、B医師との2回目の面談。検査が早くおわってしまって、、医師との予約時間までかなりあったので、受付にその旨伝えると(予約時間まで他で時間を潰してきた方がいいかな...と。)、早めに呼んでもらえました。
 約2キロ減の私は...一見変化なしだったのか...多少はあったのか、B医師のご挨拶は、「少しはやせましたか〜?」でしたっけ。2キロ少々と答えると、お、それはすごいですね....ではおわらない。しっかり頼みますよと、真顔でさとされて、私も、がんばります!と宣言!

 ただ、コトは手術に向けてすすんでいるものの、B医師によって採取された組織からは異型が出なかったらしく、
B医師悩まれる...。

 大学病院なりの手続(治療方針)があって、異型の検出が手術の条件になっている様子でした。
 手順としては、内膜掻爬で内膜全体の状態を調べるというステップがありますが、異常が無いことを確かめるためならともかく、異常があることが前提で手術をしようとしている段階では、余分な手順のように思えました。B医師からも内膜掻爬で全体を診るという手もあるんですけどね....との説明とまりで、しましょうとの提案はありませんでした。でも、異型は必要...どうするか....。もう一回組織診をするか...痛いしなあ...独り言に優しさもにじませつつ、B医師考え込む。
 で、異型が出た私の細胞を最初に受診したの病院からとりよせて、大学病院で再検査して....当然ながら異型が見つかったということで、晴れて(?)子宮、卵巣、全摘手術が決まりました。

 手術決定の連絡は、3回目の診察日の前日に、B医師からの電話で知らされました。
 わざわざの“お電話”は、単なるお知らせではなく、当初予定していた手術日を、1ヶ月ほどのばそうかな〜という打診でもありました。その間にもう少しダイエットが進めば、手術環境のアップにもなるし....って、術前検査も問題なく準備万端...なのに、お腹の脂肪で足止めとは笑えない話ですが、先延ばしにしたらリバウンドの不安があると答えると、B医師はハッ、ハッ、ハッ、と高らかにお笑いになりましたっけ。

 手術環境云々とは別に、日程の変更は、手術を急ぐべ患者が現れたということだったので、こちらも変更不可の強硬姿勢は貫けませんでしたけど、(確かに、お腹の脂肪は減らした方がいいわけだし...。)二つ返事で、こちらはいつでもいいですよとも言えず、困っていると、調整のために変更が可能かどうか尋ねている段階であって、一旦保留にするねと、電話は切られました。で、夕方に再び電話があって(翌日診察日なのに)いろいろ日にちのやりくりをした結果、(最初の予定よりも)10日ほど延びるけど...と、8月13日入院、14日手術でどうだろうとの提案を受けたので、わたしは、二つ返事で了解しました。

 翌、診察日は予約をとってもらっていた術前麻酔科(個別によばれて、手術に際して行われる予定の麻酔についての説明を受けました。私の場合は全身麻酔と、末梢神経ブロック)で話を聞いてから、B医師と面談。昨日は面倒な話をきかせちゃって...,いえいえ、こちらこそ無理を言って...と大人の応答のあとに、入院、手術日の確定を合意。
 B医師はわたしのお腹を(服上から)クイックイッと押して「ほんと、頼みますよ〜。ここに腹腔鏡の機械をいれるの大変なんですから。」と.....。
 ここと言うのが、一般的な腹部をさしているのか、私個人のお腹を差しているのかは、聞き返すこと無く、私は、潔く頼まれて帰りました。

 

入院 

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。

 入院に関しての案内は2度受けました。

 1度目は、2回目の診察日(前病院にプレパラートの提供を頼むことにした日)のあとで、他の入院予定の患者と同席での、一般的な案内でした。
 入院時に提出が必要な書類一式もこの日に受け取り,アンケート用紙1枚を提出しました。アンケート内容は部屋の前やベッドに名前の表示を行っていいかどうか、ネームバンドをつけてもいいかどうかなど、わざわざ個人の希望を尋ねなくても、当院ではかくかくしかじか...との説明でいいんじゃないかと思う内容に加えて、有料個室の希望の有無を書く欄がありました。

 産婦人科病棟にある個室は3種...第一希望から第三希望までに印をつけるようになっていましたが、提出時点で、室料以外に記載されている情報はありませんでした。
 トイレが付いていて、インターネットができればいいなと思っていた私は、中、低、高の価格順で印をつけたところ、低価格個室にはトイレなしと分かって、第二希望と第三希望を入れ替えました。ネットに関してはスタッフの説明では(個室でも)PCやi Padの持ち込みは不可(スマートフォンのみ許可)と言うことでしたが,実際には個室ではモバイルルーターの利用も,処置中以外は可能でした。

 有料個室については、もうすこし、正確で詳しい情報が欲しいと思いました。(事前に分かっていたのは、イヤホンが不要ということと、テレビ、冷蔵庫の利用にプリペイドカード不要と言うことくらい)
 
 ただし、個室は希望しても空きがあるとは限りません...。
 で、空きが無い場合4人部屋でも可、不可かの意思表示が求められます。不可にしたいけど...私に用紙を渡ししてくれた看護師が、(個室準備が出来ない時は)しょうがないのでね.と、可に丸をしちゃってて....。
 手術日優先ってことで、やむなしと,4人部屋も受け入れる覚悟を決めました。
 
 2度目の案内は、入院、手術日が確定した3回目の診察のあと、婦人科で入院する患者用の、追加案内ですね。
フリーパンティーや、自身のサイズよりも1サイズ上の大きめのショーツ、夜用ナプキンなと、ここで指定された,用意しておくべき物品は、手術前日に看護師に預ける物で、術後の必需品だったようです。

 入院案内はそれでおしまいでした。
 個室の準備が出来たかどうかも含めて、病院からの連絡はないとのこと。入院日当日に入退院センター受付で手続をして指定時間までに病棟に入るという手順でした。
 大学病院で事前に分かるのは大まかな日程で、最終決定は病院からの連絡待ち....落ち着かない上に、明日から入院と言われて焦ったという話もきいたことがあったので、1ヶ月近く前から、入院日確定は、意外でしたが、ありがたかったです。


 入院日は主人と二人、キャリーカートと、看護師に預けるグッズをまとめた紙袋持参で受付へ。
 受付時に、第二希望の個室が準備されていたことが分かりました。見比べてないので、部屋自体の相違は分かりませんが、第一希望とは1万円以上の差がある....ので、複雑...。
 「よろしいですか?」とは聞かれしたが、2番手とはいえこちらは希望はしたのですから、良くない話ではないんですよね。大当たり叶わず、ハズレでも無しというところでしょうか。

 価格に見合っているかどうかはさておき、病室は快適でした。
 洗面台とトイレつき。持参物の収納も、私自身が動き回るスペースにも不足はありませんでした。空調を好みで調節できるのも、価値有りでした。

                                      14/09/04 

 

 病棟、ナースステ−ションで受付を済ませ(入退院センターでもらった専用診察券、個室利用の同意書、リストバンド等を渡して、リストバンドを装着)病室に入ったのが9時過ぎでした。

 入院計画書によれば、入院日の処置は臍のそうじ(カメラをの入り口になる為、汚れがカメラに付着しないようにということで、綿棒とオイルで臍の中を念入りに拭き取られました。)と採血、18時に主治医から手術についての説明を受けるだけだったのですが....病室でトランクの中み(入院グッズ)を整理するまもなく、受け持ちのC看護師、D主治医(入院中の主治医。 外来担当医&執刀医のB医師と一緒に手術を担当してくれるメンバーのひとり)の挨拶を受け、採血、ふくらはぎと膝上の採寸等々、訪問者がひきもきらさず....のあとは、11時から入院中の生活についての説明会(同日入院の他の患者と一緒に、病棟施設の案内や日常生活のルール等の説明を受けました。)があると言うので、私はそれなりに忙しい...。一方18時まで何も用事がない主人は、少々待機時間がありすぎるということで一旦帰宅しました。
 
 ただ、予定は未定...。
 18時に予定の手術の説明を、早めにさせてもらえればという話になって、昼食後の13時30分からに変更。
 念のために言うと、変更は調整の結果であって、主治医の都合のみが優先されたという話ではありません。帰宅した主人が大慌てしなくても(無理なく)病院に戻ってこられる時間に合わせての“早め”変更でした。

 以前、亡義父がお世話になった病院で、「先生からお話があるので夜7時に来てください、」などと言う呼び出しが繰り返された時には、日中は患者を診ている医師の空き時間は夜になるのだろうけど...と察してはいても、「(夜7時に)来られますか?」ではなく「来てください。」という連絡は気分のいいモノではありませんでしたが....ありがたいことに、今回、自分がお世話になった大学病院では、その種の不快感を抱かずに済みました。

 私達はD医師と一緒にカンファレンスルームに向い、先に待っていたB医師によって、手術の方法やリスクなど細かい説明を聞かされました。
 手術にはリスクがつきもの...わかっちゃいるけど、具体的に、万が一の確率まで言及されると、手術を控えた患者に精神的ストレスになる話は害あって利なしでしょ!と言いたくなりますが、これは避けて通れないステップ。仕方がないですね。
 もちろん、(開腹ではなく)腹腔鏡手術の利点の話もありましたが、そもそもその利点を根拠に腹腔鏡可手術をうけるべくここに流れ着いた私としては、今更のメリットに安心感が増すよりも,腹腔鏡下手術の合併症の数々に不安感を植え付けられる気分.....。

 ガス塞栓....(炭酸ガスを注入してお腹を膨らませて手術に必要な空洞を作るらしい)皮下機種、電気メスによる臓器の火傷、隣接する膀胱、尿管、腸管の避けられない損傷、骨盤内の炎症....、説明書の、稀に起こる合併症として記載されている部分にB医師は赤線を引き、それから、肩の痛みをおぼえることがあるという一文を赤丸で囲みました。肩の痛みはほとんどの患者がうったえるそうで、これはリスクというよりも、つきものみたいな話でした。

 ちなみに私は“ほとんど”...からはみ出たようで、他のリスクともども、肩の痛みも回避出来ました...と言うのは術後の話、事前に聞いたからからと言って、こちらには自衛の術もないリスクを丸ごと受け入れて、納得しましたと同意書にサインをしなければ先に進めない....選択肢の無い患者のの立場は弱いよね〜と言うのが、本音だったでしょうか。それでも、迷いは生じなかったです。
 おまけに、一通り腹腔鏡下手術の説明を終えたB医師から「いいですか?腹腔鏡で。ボクは開腹もできますよ。」とふられたもので、脅し(じゃないんですけどね。)なんかに負けないもん!的な、覚悟を自覚した気もします。

 言葉を文字におきかえると、ニュアンスを表しにくく、印象が違って伝わるかもしれませんが、補足すると、B医師に対して、私は苦手感情を持ったことはありません。冗談めかすこともなく、言葉を選ぶということもなく、けっこう失礼なことを言われているわりには、相性は悪くはなかったと考えています。
 まあ、コミュニケーションをキャッチボールでたとえれば、ストレート、ど真ん中に投げてくるから,むしろ受け止めやすく、ついでにその勢いで投げ返し易かった..かな。

 一方、入院当日に初対面だった、D医師は、毒舌(?)なく,フレンドリーな癒し系でした。
 “手術を受けることにした判断は、正しいと思う”と繰り返し、数枚の同意書にサインをする行為を後押ししてくれました。

 病室にもどると、担等のC看護師が、『腹腔鏡下単純子宮全摘術入院計画書』の余白に、手術後の状態について、計画書に書かれているる説明をまとめて絵に描いてくれました。 
 
 身体にいろんな管が付いて,手術当日の夜は不自由だけど、翌日には順次はずれて、午前中、歩いて自室に戻った後は全部はずれますから、(夜だけ)我慢してと...。
 
 なんだか、スヤスヤ眠っている様子の絵に危機感は無く、私は穏やかな(術後の)夜を願うばかりでした。

                14/09/11 


手術

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。

 手術当日、開始時間にあわせて、14時25分頃に出発(病室から手術室へ)予定でしたが、おそらく...と言われていた通りに、前の手術時間が延びて、約1時間遅れとなりました。

 食事はなし。9時頃に浣腸、その後に点滴が始まりました。
 点滴は,ご飯をもらえないかわりと理解していましたが、それとともに、手術中に必要な点滴ルートだったことが、あとで分かりました。
 事前に聞いていた全身麻酔の手順では、手術室に入ると測定機器と同時に点滴ルートを確保するとありまして、麻酔薬の投与、水分の補給、輸血、治療上必要な薬剤の投与などの為重要なもので、少し太めの針を用いるということだったので、ああ、そういえば、麻酔の前の注射だかなんだかが結構痛いという話を聞いたことを思い出して、私は太めの針に警戒していたのですが、実は病室で処置された点滴が“それ”で、太めの針は早々と私の腕の中に入っていたのでした。(翌日、点滴を外す時に抜かれた針を見て驚いた。)

 私は、水分補給と思われる点滴に繋がれた状態で歩いて手術室に向いました。
 主人、病棟看護師とは、ここで一旦おわかれです。未知の手術室の、未知の担当スタッフに引き渡されようかという時、後ろから声をかけられました。手術担当スタッフの中では数少ない既知の一人、D 医師でした。「がんばりましょう。」「よろしくお願いします。」と言うような挨拶がかわされる場面....なんでしょうけど、D医師は「大丈夫?」と聞いてくるものだから、何か、大丈夫でなさそうな懸念があるのかと、私は戸惑いました。
  え〜?という感じです。
 「大丈夫かと、いま、私にき聞かれても、何をもって大丈夫といえば...。」
 「あ、気持ち。気持ち。心の準備はいいかな〜と。」(乱れましたわ。)
 その場にいたスタッフも思わず苦笑のやりとりでしたが、一歩(手術室の)中に入ると、あたりまえですが、笑っている場合じゃなくなりました。名前や手術の内容を聞かれ、答える間にも、お帽子かぶりましょうね〜。はい、こちらに腰掛けて、バスタオルで隠してますから、上半身はだかになってくださいね、はい、病衣、おあずかりしますね、はい、そのまま仰向けになってください、心電図つけますね(バスタオルはかけられたまま)、酸素マスクお口にあてま〜す...と、段取りよくテキパキと準備はすすめられましたが、何となく小児科医に囲まれてる気分でした。これから手術を受けようという患者の不安は、心もとない幼児並み...というところでしょうか。気がつけば、いつの間にやら(病衣を脱いだときかしら?)点滴の袋はなくなっていて、麻酔科医が、麻酔をいれますよ〜と現れたので、あ、この点滴ルートを活用するのか,太い針さされなくていいんだとほっとしたところへ、麻酔薬が入る時に、腕に痛みを感じますが..と言われ、ま〜、嫌だけどそのくらいはしょうがないか思い、了解の意思表示をしたつもりで、たぶん,私は“おやすみなさい”状態になったのでしょう。わずかの痛みを感じた記憶もありません。
 
 そして、私の記憶の中では“次の瞬間”になりますが、なんとはなく、慌ただしい気配の中で呼びかけられました。目を開けるか開けないかの内に、「こっち向いてペッとして、ペっとはいて。」という声にうながされ、口の中にたまったモノを吐き出すと、「上手。上手。」とおだてられ(?)2、3回ペッを繰り返したのでした。。

 何をやってるんだ?といぶかるまもなく、手術を受けていたことを思い出しました。吐き出したモノは痰かつばか、気管チューブは絶妙のタイミングで取り外されたようで、ペッをする前にむせたかな?という感じが残っているくらいでした。
 目を開けたら、8時(たぶん)を示した掛け時計が視界に入りました。
 なんで、8時?と思い、それから、すぐに手術が予定よりも時間がかかった現実を悟りました。
 手術前の診断は、複雑型子宮内膜異型増殖症....念のために、摘出した子宮を迅速病理検査にだす予定で、結果、場合によってはリンパ節郭清を行うと手術が長引くことがあるというのが、担当医の説明でした。つまりガンが見つかれば、手術が長引く.....長びいてるじゃん....と、子宮体癌という病名を時計の時刻が教えてくれた気がしました。

 全身麻酔から目覚めた直後にしては、マトモに頭は働いたと思いますが、面白いことに、この後、ナースステーション横の回復室へ“セッティング”されるまでの記憶はありません。ただ、入ってこようとした主人に、看護師が少し待ってくださいねと言った様子の声にを切っ掛けに,再び醒めた感じでした。

 で、主人との術後初面会で、私は自分の推測を確認すべく、「ガンだったの?」と尋ねたのでした。
 執刀医から術後の説明を受けていた主人は、(私が)いつの間に聞いたのかと驚いたそうですが...告知済みという認識で、まさか、ガン化していたとはね〜と、いう類の会話となりました。ビックリしたけど、でも手術したから見つかったわけで、結果としては良かった...と。それは本当にその通りなのですが、気になったのは、筋肉の半分くらいまでいってたのでリンパをとったという話でした。(後日、術後説明の正確な再現をもとめたところ、早くも主人の記憶はあやふや....リンパをとったのは確かで、半分くらいとは聞いたはずで、筋肉...とはいわれなかったかも...? でした。)

 ガンだったとしても初期という前提で選択した腹腔鏡での摘出手術です。ガンの浸潤が子宮筋層1/2未満か以上かでは、深刻度が違うんですよね。1/2を越えていたら抗がん剤等の追加治療が検討されるし...だいいち、腹腔鏡下手術の適用になるかならないかの堺目が1/2だったはず、という細かなことは、この日帰宅してPCで子宮体がんにつ手ちょっと調べてみたらさあ〜という主人にとっては、理解不足の話で、今後のことはこれから、落ち着いてからのの話という結論で、主人は帰宅しました。
 とはいえ、すんなりとは落ち着けないのも、私の事情。
 で、主人が帰ったあとに,様子を見に来てくれたD医師に「ガンだったと聞いて驚きました。」と伝えると「僕らも、想定していた中で、悪い方だったので、びっくりしたけど、でも、手術でとれたからね。大丈夫ですよ。」とのお言葉でしたが....。“悪い方”という単語がね、不安をあおるじゃありませんか。

 B医師はそれから少し間を置いて、顔を見せてくれました。
 「がんになってたんですね。」という私の問いに、やはり、(ガン化していたとは)驚いたということなので、「お腹、切られちゃったんですか?」と尋ねると「いや、ボクはちゃんと腹腔鏡でやりましたよ。ちょっと、大変だったけど。」と、B医師らしいおっしゃりよう。
 私は、急遽開腹手術に変更することなく、大変なところをがんばって腹腔鏡でやり遂げてくれたB医師に心から感謝しました。
 「本当にお世話をかけてしまって。ありがとうございました。」
 「いえいえ、前の病院の先生がよく疑いを持ってくれて、よかったです。詳しいことは、病理検査の結果が出てからになりますが、まあ、ガンと言っても初期の初期で手術が出来たわけだから。」
「???(初期って言った?)」

 初期という単語を2回 続けて聞くことができた私は、かなり気分が落ち着きました。“筋肉に半分くらい”とか“悪い方”だとか、気がかり情報はあるものの、初期という言葉は何にも勝る安定剤! 病理検査の結果が出るまで確かなことは分からないなら、あれこれと気にしても仕方がないか...と、思えるに足る一言でした。
 もっともも、その一言で、別の疑問が....。

 初期の初期なら、腹腔鏡下摘出手術は、標準治療。“イージーオペ”ではないといっても、開腹に切り替えなくちゃならない状況ではないはず...じゃ、B医師が大変だった理由は...癌の状況ではなく、私の脂肪??? 
 一ヶ月先延ばしにして、もう少し痩せた方がという提案に抵抗しちゃったしな〜。ガン化していたのは私にはど〜しようもないことだけど、脂肪が多すぎて手術が大変だったという話なら......反省ポイントです。ただ、モノは考えよう。手術が無事に終わったあとでは、病状で大変だったと言われるよりも脂肪を指摘された方が先の見通しは、マシじゃありませんか。

 術後の回復室で、私は都合のいい解釈を導いて、静かな夜を迎えました。



                                    14/09/19 


手術後〜

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。

 大学病院の消灯時間は22時。
 ナースステーション横の回復室の電気も同時間に消されたとして、術後約2時間、暗くなった室内で、私の全身がカタカタと気刻みに震えだしました。寒いというのではなく、身体が勝手に痙攣する感じでした。担当の看護師がすぐに気づいて、電気毛布を用意してくれましたが、真冬でも使ったことのない電気毛布に夏の盛りにくるまれる異常事態に疑問を感じるまもなく、温かさが意外に心地よく(やっぱり寒かったみたい?)全身の震えはすぐに収まりました。
 で、力が抜けてリラックスモードになると、こんどは腰のだるさが気になりだしました。
 多少動いてもいいといわれるものの、仰向け状態だと、動きにくい...。(そもそも管に繋がれてるし)多少の動きでは、腰のだるさは変わりませんしね。聞くとベッドは真っ平ら、水平だというので、少し角度をつけるべく、頭の方を上げてもらいました。本当はもっと上半身を起こしたかったのですが、就寝タイムでしたし....看護師の判断で(ちょっとだけ角度が付いたところで)手を打ちました。それで、随分と楽になった...と思ったのも束の間でして、突然の吐き気に襲われて、ナースコール1回目。看護師登場は、早かったです。
 折角の個室なのに、術後は回復室で相部屋(当日手術を受けた他の患者と)と言うのは不本意でしたけど、ナースコールを利用する立場になって、ナースステーションからの近さのメリットを痛感させられました。
 
 吐き気を訴えると、看護師は心得た手順で、私の口元に専用?とおぼしき容器を差し出してくれました。
 液状のものを吐いたあとは、ちゃんとうがいもさせてもらって、気分の悪さも収まった(と感じた)のですが、たぶん、10分も経たないうちに、同じ症状に見舞われて2度目のナースコール。看護師再登場も、想定の内だったのかと思うくらいに早かったです。
 ただ、この繰り返しだとかなわんな〜と、私はかなり不安になりましたが、幸い、3回目はありませんでした。
 痙攣やら、吐き気やらの違和感も、消灯後1時間ほどの内、処置後は綺麗さっぱり無くなりました。残るは、腰のざるさばかり....。

 何度か、看護師が体位を変えてくれて、そのついでに(横向きの上体で)腰を指で押してくれたりもして、ありがとうございます〜の気持ちに嘘はありませんでしたが、そりゃ、もう焼け石に水とはこういうことと言いたくなるくらいに、だるかった。反して、痛みは殆ど感じませんでした。むろん、腹部には数カ所の瑕があるわけで、何かの拍子に「イテッ」と気づくことはありましたが、安眠の妨げになるのは痛みよりもだるさ、だったのです。
 あ〜、夜が長い、早く起きたい!と思いつつも、しっかりと、眠ったんでしょうね。目を開けたら、室内は明るくなってましたっけ。
 洗顔は蒸しタオル、歯磨きはベッドのうえで普通に行うことができました。

 あとは、歩いて自分の部屋に戻る...わけですが、それも(手術の)順番だったようで、この日、回復室を出たのは私が一番あとでした。
 待ってる時間が、長く感じました。
 「退屈だね。もうちょっとまってね〜。」いわれるあたり、私はかなりゴゾゴソしだしていたんだと思います。 で、手術後から何回となく尋ねられたお腹の痛みですが、痛くないこともないけど.....レベルのままでして、傍目にもそのように見えたのでしょうね。歩く前に点滴で痛み止めを入れようかどうしようかという話があったのですが、結局、大丈夫そうだから痛み止め不要の判断が下っちゃいました。
 歩き出して痛くなったら...その時に痛み止め使って、すぐ効くのかしら?との懸念も過ぎた心配で、実際には、起きても、立ち上がっても、歩いても痛みがひどくなることはありませんでした。
 自室までは看護師と、担当医のD医師が付き添ってくれました。サンダルを履くためにかがもうとしたら,確かな痛みを自覚したので、ベルトは看護師に止めてもらいましたが、立ち上がった時にはむしろ、気分もスッキリ。寝疲れていたんですね〜。
 「あれ?」と医師にいわれるほどあっけなくスタスタと歩けちゃったので、尿管とサヨナラ。3分かゆのお昼も残さず食べてしまったので、点滴とサヨナラ。担当看護師が図に書いて説明してくれた通りに、手術翌日午前中には、身体に繋がれていた管は無くなりました。...と言いたいところですが、ドレーンが...夕方にはD医師が外してくれるだろうという予想だったのに、“明日の午前中”に変更になり、術後1日目は管一本が居残りになりました。

 この居残り一本が、気持ち悪かった。見た目が!

 自分のお腹の中からドレーンを通って出てくる血の色の液体がたまっていく袋をS字フックにぶらさげて(点滴用のポールは、歩くのにポールの支えは不要だと言ったら回収されちゃいまして、かわりに短めのS字フックが届きました。)持ち歩くこと1日....イヤでも視界にはいってしまうに袋の中味は、“不要物”だそうで....夕刻には排出の勢いも、色もうすまりましたけど、管が引っ張られてぬけたら...身体の下敷きになって折れたりへしゃげたりしたらと、油断が出来なさそうな状況が面倒でした。看護師からは、心配しないで普通に寝て大丈夫だからといわれましたけど、この夜は、万が一にもゴロゴロと寝返りをうったりすることのないように、上半身を比較的起こして、用心に用心を重ねて(つもり)休みました。

 翌日(術後2日目)には、見栄えの悪いドレーンもとれて、ほぼストレスの無い状態になりました。
 手術前後は汚れる場合もあるからと勧められて、借りていた病衣から私服に着替えると、患者の気分も抜けました。
 サンダルを履くために前屈みになる時や、笑った時(ハナタレナックスのビデオや、浅田次郎氏のエッセイを持ち込んでました。)に瑕を感じるくらいで、いわゆる痛み止めは一度も服用する必要なし。摘出した子宮にはカン細胞がみつかっちゃいましたけど、術後経過には問題なく、退院計画に変更もありませんでした。

 自室に戻ってからは1日に3回のバイタルサインのチェックと記録を主にした経過観察の6日間で、いわゆる治療の類とは殆ど無縁で、読書とipadゲームと、スターバックス詣での毎日でした。(結果、9日間で2キロ増し)

                                      14/10/03 


〜退院

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。

 事前に渡された入院診療計画書は、行動範囲、入浴、排泄、食事、薬・点滴 処置 説明・指導の7項目別に、入院から手術〜退院までの経過が一覧表示されています。
 それによると、手術後2日目の処置欄は空白、3日目〜からは薬・点滴の欄も空白でした。

 術後、処方された薬は2種で、一つは一度も使わなかった痛み止め。もう一つが、1日目は内服の指示があった緩下剤でした。下剤は2日目以降は排便の状況を診ながら調節するようにと言うことで、3日目以降の欄は空白した。2日目昼食から普通食になって、3日目以降の食事欄には特に記載はありませんでした(空白)。入浴(シャワーのみ)は、計画書では2日目からでしたが、私は、2日目の午前中にドレーンがはずれたので、シャワーは3日目からになりました。

 毎日3回のバイタルサインチェックの際、ときおり看護師が腹部の瑕の状態を診てくれる他は...昨今は、創部の消毒もテープの張り替えも不要とのことで、退院までに残す処置は抜糸(糸じゃなくホッチキスが使われているので、抜糸というのかどうか...)のみ。
 病棟担当医のD医師が、退院前診察の時にホッチキスをぬいてくれましたが,ちょっとチクチクとした程度で、格別の痛みはありませんでした。パチン、パチンと金具を切るような音が不気味でしたけど、不気味といえば、自分のお腹にホッチキスが刺さっている状況が恐ろしかった。「医療用(のホッチキス)ですよ。」とといわれるまでもなく、文具のホッチキスだとは思っていませんでしたけど、指で触れるとかなり太い針金状の突起が分かるので、看護師に何個くらい刺さっているのか診てもらいましたっけ。(自分では怖くてみられない)
 カメラを入れた(はず)臍だけが抜糸不要の糸で縫われて、下腹部3カ所の孔にはそれぞれ1個づつ(くらい)、臍の横の孔、リンパ節廓清のために追加で開けられた孔かと思いますが、この孔が最大で、ホッチキス3個くらいが刺さっていたようです。
 
 私としては、4、5日目で、ホッチキスを抜いたりして、瑕が裂けることはないのか...という心配がありましたが、2日も経てば、瑕はくっくつそうで、確かに....3日目からのシャワー浴(防水テープも無し)でも、腹部がしみたり痛んだりということは皆無でした。

 脂肪は、瑕のくっつきを鈍くして、術後の回復も遅らせるというリスクをもたらすことがあるそうですが、脂肪過多でも,私は人並み...か、それ以上に順調な回復路線に乗っかったようでした。
 
 術後4日目だったでしょうか、退院は予定通りという判断で、受け持ちのC看護師から退院後の生活や注意事項についての説明がありました。少量の出血や帯下などは起こりえるけど基本的に心配は不要、発熱、頭痛、腹痛を伴っていたり、多量の出血や、創部からの出血や浸出液があった場合の連絡先等に加えて、傷口は乾燥させることや、次回受診日に医師に確認するまでは入浴はシャワーのみとすることなど、プリントを交えての説明は分かり易く丁寧でした。ただ、プリントはあくまでも既製品。
 子宮を摘出した後の空間(?)は腸が占めることや(つまり、腸の位置に多少の変動がおこるということね。),子宮と切り離されて残った膣の断面はしっかりと縫われているけど、万が一にも瑕がひらくと大事になるので、でしばらくは膣への直接的な振動はさけたほうがいい(バイク自転車などを乗り回さない方が無難ということね。)とか、プリントには書かれていなくて、雑談で得られたアドバイスもかなり重要だったと思います。

 それと、医師も看護師も、切除したと言っても少しなのでリンパ浮腫の心配葉無いと思うけど...との見解でしたが、わたしのほうから希望してリンパ浮腫の話も聞かせてもらいました。10数枚のプリントを閉じたリンパ浮腫のケアという資料もいただきましたが、資料は、『リンパ節切除をふくむ開腹手術・放射線治療』(開腹の二文字は2本線で消されてました。)により、リンパ浮腫を生じる可能性があるという説明からはじまり、初期症状、予防、治療の説明、また下肢測定表やセルフマッサージ法など、なかなかに読み応えのある内容でした。

 退院後の最初の外来受診予約は、およそ2週間後(術後約3週間後。病理検査の結果が出る頃)、こちらの希望を聞いてからD医師が手配してくれたようです。
 退院のしおりに、外来受診日も書き込まれていました。 退院時点で分かっているのは、複雑型子宮内異型増殖症だと思っていたものの、実態は体ガンだったということ....。ガンの進行度といいましょうか、ステージなど、詳しいことは退院後の話になるので....快晴でも、突然の雨に備えて傘を手放せないような気分でしたっけ。

 詳しいことは次回の外来受診で、ま、大丈夫ですというB医師の言葉を頼りに過ごす2週間となりました。
 

                                      14/10/10 
 

リストに戻る

 

通院

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。

 退院後、最初の外来受診は9月上旬でした。
 手術で摘出した子宮、卵巣の病理検査の結果が出る頃、病名が確定する時ですね。術前は複雑型子宮内膜異型増殖症、手術中に(迅速病理検査で)それが子宮体ガンになったわけですが、それ以上のことは、病理検査の結果がでるまでまでハッキリと言ってはもらえません。
 順調に経過して予定通りに退院とはいっても、今後の治療方針が決まるのは、その後の話というわけです。

 9月の予約は早めの時間帯がいいという私の希望通りに、D医師が9時でおさえてくれたので、予定通りとはいかないものの、さほど待たされずに呼ばれました。2週間振りの面談のしょっぱな、B医師は「少しやせましたか? おそらく...?」と、ようやく『成果』に言及してくれました。もっとも、数字的には手術当日が一番『痩せていた』はずなんですが....。
 で、検査の結果は、子宮体がん ステージ1aでした。
 正式ながん告知....かな。(告知を受けるより先に、手術時間の長さから私自身が推察しちゃったもんね。)
 ガンはあったけど、それが子宮内に留まっている初期状態。この時点で、追加の治療は不要という判断を聞くことが叶いました。術後も何度か言われましたが、前医師(他院の研修医 A医師)がちゃんと見つけてくれた(疑いを持ち続けて検査をしてくれた)ことと、摘出手術をする決断が早かったことが、良かったようです。大学病院での組織検査でも、異型がでなかったわけで、時と場合...それと担当医次第では,検査を繰り返しながらの経過観察で,数ヶ月を過ごしたかもしれないことを思うと、つくづく、あの日あの時(最初の受診日)雨が降ってなかったことまで、ついていたと感じました。天気が悪けりゃ、出かけるのも億劫になって、受診のタイミングものがしていたでしょうしね。
 いわゆる、治療はおしまいということで、A医師にも報告をかねてお礼の手紙を書かなくちゃ!と、私は思いました。(まだ...書いてませんが....。)

 ただ、治療は終わりといっても、B医師との縁が終わったわけではありません。
 ガンですからね、受診は続くんですよね。9月、術後の瑕、膣の状態に問題はありませんでしたが、入浴はシャワーのみ、まだ、お湯につかる許可は出ませんでした。
 2回目の診察は,10月はじめで、入浴と、旅行やゴルフの許可も、軽いノリで得られました。
 3回目が、11月中旬、飛行機の利用で一時的な脚のむくみはあったものの、今まで通りにゴルフは出来たことを報告すると「それだけできれば、大丈夫!。」と....。回復力の話でしょうね。病気に関して言えば、術後初めて膣内の細胞を採取して検査に出されました。術後の段取りに添った検査のようで、結果は次回、12月下旬の受診時と言うので、(検査の結果を聞くのに)そんなに先でいいのかと尋ねると、いいという....。でも...、もし何かあったら早めに連絡してくださいね、と私が言い切る前に「しない、しない。」とB医師に遮られました。心配しなくていいということだったんですけど、話の内容以上にカジュアル化した医師の話振りに、緊張感や深刻さが粉砕された感じでした。
 もっとも、簡単には粉砕されないのが、私のお腹の脂肪!
 一旦診察室を出て、内診室によばれるまで相当時間が経ちまして(医師は、、患者が内診の準備をしている間、または内診が終わって、身支度を済ませる間にも、診察室で別の患者と面談してるんですが、面談2〜3人に対して内診1人のペースで、面談が終わってから内診待ちの時間がどんどんのびてくる。)空腹状態だったにもかかわらず、下腹部の3カ所の瑕痕をキュウっとおさえられながら、「痛くないね?」と問われた時、いたくもかゆくもないけど、私は自身の腹部の『厚み』を感じました。
 「少しやせた〜?」と聞かれて、「はい!」とは答えにくい厚み....。
 北海道で増えた分を戻しただけで、減っていないし....。「北海道、食べ物おいしいしな〜。」とB医師。(実は診察日の前日まで梅田のホテルに2泊して、食べ過ぎた事実もある。)
 次の診察日が正月あけでなくてよかった...と言うのは一過性のこと。

 リバウンドでできない緊張感とともに、通院は続きます。

                                      14/11/22 
 

リストに戻る

 

術後フォロー

 注:レポート中、医師、看護師のイニシャルは実名と無関係。出会った順番です。
 
 過日、
術後4回目のCT検査の後の診察で、担当医から『もう、大丈夫な人』になったとの診断がおりました。

 問題なく2年が過ぎて、ガン再発のリスクの懸念が(殆ど)無くなったという判断だったようですが、随分前に『大丈夫な人』の気分になってしまっていたわたしには、ようやくほっとできたという類の感動はありませんでした。え?今なの?というところでしょうか。
 幾度も、特に心配はしていないと言われてきたものの、心配しないことと安心することとは同じじゃなかったんだなと...。振り返って、気楽が過ぎたかなと...まあ、結果として再発へのストレス抱くこと無く経過した2年だったと思います。

 手術後は、いわゆる治療はいっさいなく、見守りに特化した通院でした。(まだつづきますけど...。)
 8月の手術で、年が開けると、術後フォローの受診のペースは3ヶ月に一度程度になりました。
 半年単位でCT検査、当初は毎回行われていた内診、細胞診も半年単位になり、CT検査と検査結果を聞くための受診、3ヶ月後に内診と細胞診、3ヶ月後にまたCTというスケジュールが定着し、細胞診の結果は担当医が見ておくから,わざわざ(それだけの為に)効きにくる必要は無いといわれ、婦人科に足を運ぶのは年に6回。
 CT検査日ではない4回は予約時間どおりに呼ばれることはない(2時間遅れもあたりまえ)状態も“定着”してますが、数ヶ月に一度のこと故、さほどの負担も感じずに過ぎています。
 ただ、癌再発チェックのCT検査で、知らずに終わっても良かったんだけど...という異常も見つかるんですよね。
 初CTでは、その前の定期健康診断で指摘を受けた胃粘膜下腫瘍も一緒にみてほしいとリクエストをしましたが、診断では胃粘膜下腫瘍は認められない(でも,CTに写らないくらい小さいのがあります。超音波胃カメラで発見済)かわりに、肝臓に微小嚢胞あり、胆嚢底部に壁肥厚(腺筋腫小の疑い)が指摘されました。
 婦人科の担当医はCTの結果問題なしの対応で、それは消化器内科(胃粘膜下腫瘍の診察担当)医師も同意見でしたが、胆嚢に関しては安心材料として超音波検査の提案があったので、わたしも即応。
 結果は、とくに治療を要する状態ではではないのことで、このまま変化が無ければ忘れていい...とはいえ、変化の有無は観察が必要なので、年1回のペースで超音波検査が組み込まれました。半年に1度の、婦人科オーダーのCTと合わせての見守り臓器がまたひとつ追加です。ちなみに、(CTの)画像診断報告書には「検診で胃粘膜下腫瘍の疑いと言われたようです。お手数ですが合わせて御高診ください。」依頼医(B医師 担当医です。)からの特別視時が書き添えられています。
 要チェック項目がこれ以上増えずに3年目を迎えたいものですが...じつは、胆嚢チェックの超音波で、脂肪肝もし適されまして...これも見守り対象になってるんですよね。
 初回CT時にあった肝臓微小の右方は2回目以降は認められず、直近の4回目の報告書にも、肝SOLなし 膵、脾、副腎、腎、ともにN.Pでした。CTで問題なしの肝臓も、問題有りの胆嚢精査の超音波で、脂肪肝!!。

 2年前と変わらず、脂肪が大きな問題なのでした。

                                    16/09/28 

 

 2019年8月14日、子宮体ガン摘出手術から5年目の夏、初対面の当番医師から、大学病院からの『卒業宣告』を受けました。
 
 前年から、『押し出し』の見解はチラホラとありまして、1月には担当医から、次のCTチェックのあとは近くのクリニックで経過観察してもらえるように紹介状を用意する旨、伝えられていました。

 診察待ちの間に言葉を交わした他の患者によれば、 大学病院で(術後のフォローを)引き受けてくれるのは、手術後に抗がん剤などの治療が必要だった場合は5年、手術だけの場合は3年と言うウワサもありましたし、担当医から『もう、大丈夫なひと』と言われた2年目をすぎた頃からCTチェックも年に一度、診察も半年に一度と、通院頻度も低下しつつ、気づけば5年、予定通りの『卒業』でよかったと言うべきでしょうか。

 ただ、予定と違ったのは、『記念の卒業日』に担当医師が不在で、最後の日の面談は初めましての当番医師だったこと。
 担当医師(執刀医)との面談は1月、次の予約が6月で、6月の予定が細胞診とCTの予約でした。
 ところが6月に行ってみると、 外来担当医表の当日曜日欄に担当医師の名前がなく、当番医となってるじゃありませんか。ただ、当日の医師は当番医の**ですと言う自己紹介で 、奥からちょっと顔を出した担当医師から「ごめんね〜。今日、ちょっと代理のもので... 。」との声かけもあったので、一時的な交代だと、わたしは理解したんですね。
 
 代理の医師からは、 内診、細胞診、CT検査の結果が異常なしという前提で、次回の診察までに、今後どこの病院で診てもらいたいかを考えておいて欲しいと言われました。どこ...といわれても、個人のクリニックとは縁がないわけですし、同じ大学病院の消化器内科で(治療を要しない経過観察だけなので...)2年前に紹介状を持たされてうつった市民病院は、担当医から、なんでもない人をどんどん送り込んだら、市民病院の先生たちも疲弊するからという理由で、却下されてましたし、ちゃんと町のお医者さんで見てくれるからという話し振りから、紹介されるクリニックに行けばいいんだくらいに思っていたので、選択を振られるとは思っていませんでした。
 市民病院以外に婦人科があるところ...で、知っている(足を運んだことのある)病院が我が家の近くにあるので、***だと通いやすい、ついでに、消化器内科では市民病院を紹介されたんだけどというと、***と市民病院とどっちにする?ということなって、以外にスンナリ紹介状を書いてくれそうな話に落ち着きました。 
 気候よければ丘を超えて歩いてでも行かれる気軽さから(主人が入院中、何度か歩いた!)  ***がいいというと、代理の医師はからは市民病院かと思ったと返されましたが、市民病院は..「こらこら、ボクこの間言ったでしょ。」と、担当医師の声が聞こえてきそうでもありましたしね。
 ***もそれなりの規模の総合病院で、市民病院よりはかなり行きやすいし、館内環境がいいので、本音の選択ではあったのですが、『卒業の日』に、この***も却下されかかりそうになって、私は一踏ん張りすることになりました。

 担当医医師に?いえいえ、大学病院最後の診察になるであろう日、受付スタッフから「今日も当番医で...。」という案内を受け、呼ばれた先で面談したのは前回とは別の医師だったのです。「B先生曜日が変わったので、私は**と言います。よろしく。」という自己紹介につづいて「あ、でも、今日が最後なんですよね。」と...。
 細胞診、CT検査の結果は異常なし、めでたく卒業....。ただ、今後のことに言及されないので、他の病院への転院のプロセスを伺うと、最初の(大学病院に紹介状を描いてくれた病院)病院に戻るのが普通のような話し振りになったので、前回までの経緯(***で今後は見てもらう)を話すと、PC内に***当ての紹介状フォームがの保存されていたようで、そうなんだ..的な雰囲気で、じゃ、紹介状作りますねとはなったんですが、入力しながらも、「でも...***行っても、もう来なくていいと言われると思いますよ〜(ウチに来られてもそういう)。」とおっしゃる。
 ありがたいといえば、ありがたい見解ですけど、1年後、はなくても、例えば3年経過してそろそろ一度CT 検査をとの判断は、病院と繋がっていてこそじゃありませんか。それだけのこと故、個人のクリニックで十分なのかもしれませんが、とにかく***が近いもので、こちらとしては、突撃ではなく、紹介ルートで、縁をつないでたいわけです。
 ただ、プリントした紹介状に印を押して、封筒に入れて渡してくれたものの、 当番医師は最後まで、あまり必要ないと思うという主張でした。もちろん、地域包括センターに立ち寄って、***の予約をとるという手順も不要。紹介状の封書面には治療データと書かれていました。

 前回の担当医師は次に来る時にどこ宛に紹介状を書くか考えてということでしたが、その通りだと今回紹介状のゲットは難しかったかもしれません。とりあえず、具体的な話を(前回)進めていてよかったけど、当番医師によって、見解が変わるのはちょっと...という印象は否めませんでした。
 

 ちなみに曜日が変わったという担当医師がどこにうつったかと公式HPを開いて見たら、診療紹介のトップページにの案内に大学病院の特殊性のため、担当が交代がありうるとのコメントが目につきました。
 8月1日にスタッフ紹介も更新! 今までもだったのでしょうけど、初対面の当番医師と、最後の十数分時を共有することとなった身としては、 縁が切れる時に自分に影響のある『移動』が行われたのは、つくづく残念。
 担当医にもまともな挨拶の機会もないまま、閉まりの悪い『卒業』となってしましました。

                                     19/08/29 

リストに戻る

転院、あるいは卒業フォロー
 
 5年間お世話になった大学病院から『子宮体癌卒業』を言い渡され、縁切りとなってから約1ヶ月ほどのち、最後の面談となった初対面の医師から受け取った紹介状を持って、近くの総合病院に出向きました。
 
 病院間連携で予約をとってという手順はなく、“紹介状がある方”のカウンターで封書を渡して、自分で経緯を説明しました。担当者は封書を開封、わたしは初受診時の問診票に住所、氏名をはじめ必要事項を記入、さほど待たされることなく婦人科受診の手続きがなされて、案内を受けることができました。

 婦人科受付で再び問診票に必要事項を記入。
 どういう症状があるか、気になる点は何か、過去に手術の経験はあるか、現在治療中の疾患はなど...初受診時によく書かされる内容ですが、紹介状ありでもスキップできないんだなあ〜と思いつつ、自分でも、回答を準備してくるべきだったと反省しました。(癌の漢字に確信がもてすカタカナ表記に逃げました。)
 婦人科受付では、医師希望はあるかと聞かれ、特にはないと応じましたが...
確かに公式サイトで情報は得られる時代ですから、希望はあって然るべきだったかもしれませんね。
 
 得意な手技 分野欄に更年期障害や、周産期救急医療とある医師よりも、婦人科内視鏡手術、悪性腫瘍の治療となっている医師に診てもらいたかったとは思うのですが、当日、医師の希望のないわたしを見てくれた医師は、公式サイトによれば、非常勤医師だったようで、とくに得意分野等の記載欄はありませんでした....というのは、あとでわかった話で、実は、次回(と言っても一年技ですが)もその医師の時間に合わせて予約をとってもらってしまいました。まあ、『卒業フォロー』で、治療云々という話ではないのでいいのですが、非常勤医師となれば、1年後の再会は叶わないかも...しれませんね。

 ただ、大学病院からの紹介状の宛名には個人名は書かれていなかったものの、対応してくれたのは『悪性腫瘍』を担当と、わたしは思い込んでいたので、予想外ではありました。更年期障害や周産期救急でもありませんでしたけどね。
 それよりも予想外だったのが、 紹介状が本当に紹介だけで、大学病院での5 年間の治療データがほとんど記載されていなかったことです。
 医師からは、これほどデータのない紹介状も初めてでどうしたのかと思って....と言われたほどです。
 そこで、実は、最後の日の医師が初めましての医師で...というところから、わたしの話は始まり、
遡って5年前
細胞診で異常なし、組織診で異型細胞がでたので手術を勧められ、紹介しててもらった大学病院で腹腔鏡手術をうけて...長々と自ら説明するハメになりましたが、手術はいつ? ガンのステージは? 直近の検査の結果は?等々、尋ねられるたびに、え?それも書かれていないんですかのリアクションの繰り替えしで、ついにはちょっと、覗き込んで紹介状を眺めてしまいましたっけ。
 大学病院最後の日の医師は、 PCのキーボードを打ち続けて、かなりの文字数を入力してくれていた雰囲気だったのに、紹介状フォームの記載欄には4行くらい(空白いっぱい)で、最初の文字は“不正出血で...”と読めました。

 不正出血で異常な細胞が見つかり、手術、結果は子宮体癌くらいの内容が書かれていたと推されますが、 初対面とはいえ、癌のステージと術後検査の結果くらいはカルテですぐにわかるものなのに、持参したわたしも、呆れる紹介状に思えました。
 治療データ(紹介状)は、日にちを改めてでも、執刀医にお願いすべきだったでしょうか?
 そう言ってくれれば、出直すことはやぶさかでななかったのに....。
 
 紹介状を書いてくれた医師は、もう来なくていいと言われると思うという判断で...というと、経過観察していくことは必要で、ウチは(来てもらって)構いませんよと、非常勤医師は1年後のCT予約をとってくれました。
 1年先の予約....。
 とりあえず、転院婦人科と縁はつながりました

                                     19/10/02 

リストに戻る



 


 

 

省みて笑えるエピソード

 「元気やな〜と思って..。」と看護師に笑われ、痛み止めを一度も使わないのも珍しいと驚かれた私は、今回の手術、入院に関しては順調に過ぎたのだと思います。
 ただ、これまで大きな怪我や傷とは縁の無い日常で、バンドエイドで足りる程度の傷の経験しかない身としては,手術後の状況は、その善し悪し(正常or 異常)の判断をしかねて、無用な心配の繰り返しでした。当時は深刻、真剣、大まじめ、終わってみればお笑いネタに変貌したエピソードを思い出すままに.........。

弾性ソックスのサイズ
 血栓予防の弾性ソックスは、入院日当日に受け持ち看護師のC看護師が、私の両ふくらはぎ数カ所とひざの上のサイズを計って、用意してくれました。適用サイズには幅があり、つま先は開いているので踵にあわせて履くようにとの指示がありました。

 あまり早くから履いからキツいでしょうからというE看護師(手術日の夜をサポートしてくれるC看護師に替わって、日中はE看護師が付いてくれました。)のアドバイスにしたがい、私はソックスを手術室に向う前に着用しました。ふくらはぎにあわせたサイズなので、当然足には大きい。...かなり大きい...。私は足は小さいんですよね。足と脚のアンバランス故に、ロングブーツと無縁で、ハーブブーツは要オーダーだったし、スキー靴もちょうどいいはずのサイズだとふくらはぎがうっ血するので、大きめサイズを調整してもらってきたわけで......という事情をE看護師は知りませんから、そろそろ行きましょうかという段になって、ソックスのあまりに余ったつま先に驚かれました。
 「大き過ぎるでしょ?」と問われて,私も悩みました。ふくらはぎに圧迫感はあるものの、キツいと言う程のものでもないのも確か。
 弾性ソックスを身につけたことがないので、どのくらいのキツさが正しいのかがわからないんですよね。
 E看護師は、「う〜ん。」「...かなあ?....。」といいながら、私のふくらはぎを押したりソックスを引っ張ったりして....こちらから見たところでは、しょうがなく納得した感じでした。血栓予防の為には、これに加えてマッサージ器もつきますしね。ただ、歩く時に引っ掛けたら危ないからと、余ったつま先を上に折り曲げてサンダルの中に収めてくれながらも、なお、E看護師は首をかしげる....。効果が期待できないというならもっと小さいサイズにはきかえましょうということになるんでしょうけど、そうは言わない。単に余りすぎたつま先が異様だったのでしょね。
(百聞は一見にしかず.....イメージは参考までに、自宅にて再着用、撮影。)

 手術室ででも(私の意識のないところで)つま先が余り過ぎた弾性ソックスはチェックされたのでしょうか...?

                                      14/10/10 


防水テープの剥がし時
 入院中は、主に世話になるのは受け落ち看護師...とはいえ、入退院の説明と手術当日の夜以外は複数の看護師が交替でサポートしてくれました。
 朝食後と夕方くらいに、「今日、夜間(昼)担当の??です。」という挨拶を受けるのですが、バイタルサインの記録だけで交替する看護師もいれば、聴診器で腹音をチェックしてくれる看護師もいました。

 午前中にドレーンも取れて、身軽になった術後2日目の夜間担当の看護師は、聴診器は持っていませんでしたが、腹部の瑕の具合を診てくれました。瑕の直り具合順調、順調で終わると思いきや、何か気になる様子で念入りなチェックが入りました。瑕口には交換不要の防水テープがはられているんですが、テープがはられた部分の皮膚が赤くなっているというんですね。
「ここ、痒いでしょう?」と、臍の回りを示されてみれば、確かに違和感はありました。でも孔を開けて、カメラを入れられて縫われたところなんですから、いつもと違う感じはあたりまえ....。もっぱら、痛みを警戒していた私は、痒さまでを自覚することはありませんでした。それでも看護師は、テープかぶれをおこしているみたいで、気になると言うわけです。
「テープ負けしやすかったのかなあ?」
「あんまり...テープをはったこともないんで、負けたかも...?」と、そ〜いうこともあるよね気分だった私は、「決めた!」という、看護師の突然の決意表明驚かされたのでした。(何を?)
「ここね、お臍のとこだけは、今、わたし、もうテープ剥がすことにするわ。」
「え?剥がしたらど〜なるんですか?」
 私は焦りましたね。テープを剥がされたら、瑕口が無防備になるじゃありませんか。雑菌で化膿したら大変だし....いや、逸れより現実的なのは瑕が直にパンツですれたりしたら、痛くなるかもしれないし...なのに、看護師は、瑕は塞がってるから大丈夫だというのです。

「どっちにしても、明日は外す予定だから、...。こんなに赤くなって、なんか可哀想だもん。 」
 明日までは未だだいぶ時間があるし、見切りでテープを剥がして、もっと可哀想なことになったら困ると思った私は、テープかぶれのリスクより剥がしてしまった結果のリスクが心配だからと,消極的な抵抗を試みましたが、看護師の決意固く、臍をスポリと覆っていたテープはペリペリと剥がされてしまいました。
 看護師によれば、「うん。大丈夫。」らしかったものの、空気に触れるとむしろ敏感になって、かゆみを自覚。
確かに、かぶれかけてはいたようです。
 無防備になった瑕口が傷みだすこともありませんでしたが、予定よりも早く無防備になってしまった臍辺りには、うっかり引っ掛けたり擦ったりしないように最新の注意を払わなくちゃ...とと警戒してるところへ、くだんの看護師が再登場!なんと、D医師に話したら他のテープもとっていいと言ったから,今日全部とっちゃいますね...と。
 D医師、診てないのに許可してくれちゃったんですね〜...。

 初期発見と素早い対応(?)のおかげで、ひどいテープかぶれに悩まされること無くおわりましたが、保護テープが剥がされたれた瑕口からは、寝て、起きてて、翌朝になっても一筋の血もにじみ出てこないことを確認するまで、私のストレスは3割程アップしていた気がします。
(これ以降、医師や看護師からは、痛みよりもかゆみの具合を聞かれるれるようになりました。)

                                      14/10/17 




ガーゼの種類は...医師よりも看護師が詳しい(?)
 体内に貯留した不要物(消化液 血液 膿 浸出液等)を排出するために左脇腹に突き刺さっていた(刺さっている感じは全くなかったものの、チューブと排液パックは鬱陶しかった。)ドレーンは、手術翌日取り外しの予測が、半日延びて、術後2日目の午前中にお役御免となりました。

 チューブ(ドレーン)は確かに自分の腹部に入っているらしい...その箇所自体を視野に入れるのは避けていたので、どういう状態で入れられていたのかは分からないままに、動きを阻害されるチューブが邪魔で仕方がなかった私は、D医師から「とりましょか。」といわれて,待ってましたとばかりに応じたものの、すぐに、チューブがとられた後の状態を想像して、警戒モードにスイッチが切り替わりました。
 チューブは点滴の管よりも明らかに太い! しかも、おそらく...ですが、身体にさした針かなにかに接続されているのではなく、チューブ自体(私の腹部に)が入り込んでいるんです。邪魔だと思えど、傷みなどの不快感は無かったので失念していましたが、つまりは腹部が切り開かれているとうことです。チューブを抜いたら...「孔があきますよね?」と、尋ねてど〜する?ということを確認すると、D医師は、テープで貼っておくから大丈夫だというではありませんか。
 手術の孔はホッチキスで止められているのに...いえ、意識のある状態でホッチキスの世話になどなりたいはずもありませんが、テープでOKと言われても信じ難い...と言いましょうか、プロが言うんですからそうなのでしょうけど、擦り傷並みの扱いに安心したり、不安になったり....。
 
 チューブを抜く時にも皮膚の内側からひっぱられるような違和感が(瞬時)あっただけで,擦り傷ほどの傷みも感じませんでしたが、後になってみるとはられたテープもバンドエイドのレギュラーサイズよりももっと小さいものだったので、驚きました。
 だた、当日は...テープを貼った上から折り畳んだガーゼをあてながら、そのガーゼが染み出た排液でビショビショになるようなら看護師煮取り替えてもらうようにとの説明を受けたものですから、私は深刻でした。
 ガーゼが濡れる程の液が出るかもということは、孔は塞がっていないということであって、怖い。テープだけで大丈夫なの?というより、テープだってはがれるんじゃないか?という思いですね。塞がっていない瑕口からガーゼが濡れるくらいの液が染み出る...かも、と考えるだけでも痛い気分に襲われました。実際には不思議なことに痛くも何ともないんですけど、しばし、私は安静状態を保っていた気がします。数十分後に看護師が「D先生にドレーン外してもらった?」と様子を見に来てくれた時にも、まだベッドに横たわってましたから..。(術後、部屋に戻ってからは日中は横になることはしていませんでした。)
 「(ドレーンを抜いたあとの)瑕口が怖いくて、そ〜っとしてます...」と言うと、看護師はちょっと笑いながら診てくれました。
 ....が、瑕より先にガーゼを見て「あ!」っと....一言。
 「なに?」
 「う〜ん、ガーゼこれじゃないほうが....。」
 「え?」
 「ガーゼ,別のに交換しますね〜。」
 ........?? ガーゼにも、適、不適があるということでしょうね。ガーゼの TPOに関しては 医師よりも看護師の方が詳しかったらしい.... 推奨タイプではなかったらしいガーゼは1時間も経たないうちに正しいガーゼに取り替えられたのですが、その時に私の腹部のドレーン孔はキチンと塞がり、『液漏れ』もしていないことが分かりました。本当に短時間で瑕はくっつくものなんですね。一安心した私は、ならば...と一階スタバにフラペチーノを買いに出かけたのでした。

 取り替えられた正しいガーゼは翌日午前中にはずされました(交換ではなくとられただけ)が、結局、ガーゼには何も付いていませんでした。テープの内側で、染み出ようとした血らしきものがかたまって、かさぶたのようになっていたのを知ったのは退院後のことでした。
 
                                      15/02/19
 



お腹の膨らみが、気になるんですが....。
 予定よりも半日遅れてドレーンがはずされた日は、お風呂もやめとこうかという話になって、看護師が、前日同様に、保温バッグでしっかりと熱さを保ったタオルを7枚ほど持ってきてくれました。

 そういえば...と思いかえしてみると、看護師に身体を拭いてもらった記憶がないような....。入院計画書では、術後1日目は入浴が出来ないので看護師が身体を拭いてくれることになってるんですが、午前中に自室に戻っってからは、そのまま『リハビリタイム』になっちゃった感じなんですよね。1日目はそれでも、手伝わなくても大丈夫みたいなことを聞かれた気もしますが、2日目になるともうね...スタバで買ってきたフラペチーノを飲みながらバズドラで遊んでいる患者に、手伝いましょうか?もないわけで、病室に戻ってからは、とりたてて看護師の手を煩わせることはなかった気がします。

 術後2日目は、入浴してたら洗髪もOKということでしたから、わたしは(入浴はみあわせたけど)自室の洗面台で髪を洗いました。
 この段階で不自由だったことといえば、サンダルの履き、脱ぎだったでしょうか。事故防止の理由で、スリッパは不可と言われたので、持参したのはマジックテープ仕様の愛用品(右イメージ)でしたが、ベルトを止めるために前屈みになると、腹圧がかかって、さすがに瑕を感じる....。その回数を減らすべく、日中はベッドに横になることを避けてサンダル履きっぱなしで過ごそうとしたものの、履きっぱなしがまた、 鬱陶しいじゃありませんか。
 リラックスできない...で、早々に自室内ではポータブルスリッパ(左下イメー^ジ)に切り替えましたが、お風呂は室外ですからね〜。お風呂上がりのサンダル履きは.......大浴場のあるホテルで、館内スリッパ履きが横行するのもやむなしと思えるくらいに、面倒なことを実感しました。

 で、術後3日目の入浴時、(見るのは)怖い怖いといいながらも、視界に入ってしまう我が腹部....が、なんか、膨らんでるのが気になりました。ぺたんこのはずなのに...などと図々しいことは言いませんが、幾分手術前よりもお腹が出てる気がしたのです。
 そこで思い出したのが術前のリスク説明でした。
 腹腔鏡操作の空間を作る為に炭酸ガスを注入して腹部を膨らませるのが、開腹手術とは異なる部分。ガス塞栓や皮下気腫が起こりうる合併症でし。体調が悪いわけではなかったので、合併症云々とまでは考えなかったものの、腹部の膨らみの原因は炭酸ガスの影響が残っているのでは...とは、思っちゃったんですね、わたし。
 術後の初入浴から部屋に戻ってほどなく、様子を見に来た看護師に、わたしはストレートに疑問を打ち明けたのでした。(腹部の)ガスが抜けきれてない気がするけど、完全に抜けるにはもう少しがかかるのかと....。ところが、看護師によれば、もう3日経ってるので、ガスは残っていないはずだと言うわけです。....ガスの影響なしとなれば、このあと、膨らんだ腹部が凹むことはない?(つまりは、全部わたしの身?)と、重ねて問うと、看護師は、穏やかに微笑みながら「...かな〜?」と断定は避けて首を少しかしげてみせたのでした。
 詰め所で爆笑してたかもしれませんが、わたしとしても炭酸ガス注入など初体験なので、「かな〜?」では納得できないわけでして....よせばいいのに、その日の夜に立ち寄ってくれた執刀医、B医師に「調子はどう?」ときかれて、お腹が出ていることを訴えたわけです。
 B医師の応えは明快でしたね〜。
「いや、僕が最初に診たときからそのお腹でしたよ。」
 即答でした。....。(実際は入院中に2キロ増しになってましたが、最初と比べると,むしろ多少は凹んでいたはずなのにね。)

                                      15/04/19 

ラテックスアレルギー?
 
病院のお世話になるのは風邪のひき始め(元気なうちに薬を確保するタイプ)、検査といえば、年に一度の定期検診ぐらいしか経験の無いわたしには、入院、手術はもちろん、体がん罹患者までの道中は初体験モノ続きでした。
 
MRIやCTの検査では、検査を受けるにあたっての注意事項やリスクが説明され、署名を求められますが、造影剤を使うと言うことで、常にアレルギーの有無を尋ねられるので、悩みました。
 アレルギーは...あるんですよね、わたし。自覚症状はさほど...ですが、血液検査では杉とヒノキとハウスダストと....もうひとつはカビだったかな、にアレルギーがしっかりとあって、花粉症と診断されましたしね。
 で、花粉症だと言われていますと申告すると、大丈夫ですよ〜とながされ。ぜんそくについては、小児ぜんそく患ってましたと申告すれば、今はなんともないですねと確認され...「風邪をひくと決まって咳がひどくなります。」「...大丈夫ですよ。」...と言うやり取りで(現状、治療中とか、薬を常飲しているとかが問題なのだとあとで察しました。)、こっちは、大丈夫の判断が出来ないので、思いつくことは全部申告しましたが、結果として検査に支障があるようなことは何も無く、必要なことは順調に進められました。

 ただ、聞かれても、自分では判らなかったことがありました。
 それがラテックス! 内診準備をしている時に看護師から尋ねられたのが最初だったと思います。

「ラテックス、だいじょうぶですか?」
「...ラテックス...ですか?」
「天然ゴムでかぶれたりしたことないですか? ゴム手袋とかで」...とわかり易く聞き直されても、自分がこれまでラレックス製品を使っていたかどうかがハッキリしないんですから、応えようがないんですね。ゴム製品で何かアレルギー反応が出た記憶はないけど、それがラテックスだったかどうかは判らないわけです。それで、そのまんまを看護師に伝えました。...ま、判らないと言うわけです。ただ、安易に大丈夫となっても怖いので、『アレルギー体質ではある』ことは言いました。となると、看護師もまあ、大丈夫でしょうね〜かとは言えませんよね。(そりゃね。)ラテックスはアレルギー反応が重い人もいるらしく。「念の為に、使わないでおきましょうね。」となりました。担当医に「ラテックス、アレルギーがあるかもしれないので***」と報告するが聞こえました。
 この段階では、かも...がついてました。代替アイテムがあるなら、パッチテストで確かめましょうという状況でもないわけで、リスクに挑戦する必要もないと思い、わたしも、あえて、平気かもしれないけど...という見解は示しませんでした。疑わしきは...の看護師判断に異議は何もありませんでした。
 ただ、手術翌日に病室に戻ると、ベッドの枕元上に『ラテックス不可』と書かれているのを発見して、少々驚きました。
 かも..を匂わすニュアンスはなし! 
もちろん、アレルギーがあるかも...でも、使わない判断には変わりがないでしょうから、不可とした方が間違いはありませんが、病棟看護師は「かも」がついていた始まりを知りません。
 ラテックスアレルギーがある患者ということで、点滴の針を止めるテープなどにも神経質に対応されるのを、なんだか大げさになっちゃった...と感じつつも、そこまでを気をわなくても...と言うにいわれず、わたしのラテックスアレルギーは確定したのでした。

                                      15/11/27 

リストに戻る