勘違いは、
 不注意と想像力にサポートされる

 とある年の夏の終わり、テレビの台風情報を見ていたわたしは、主人に同意を求めました。

「昔は、“タイフウイッカ”のことを、“台風一過”とは思わなかったよね!」
『 よね!』という部分には、答えを確信したうえでの仲間意識が含まれている訳ですが...期待に反して、主人は驚いた様子でした。
「思ってた...。」と言うではありませんか。
 ただ、 それ以外になにをか思わんや..と一応は考えたようで、その直後に突然に、彼は口の滑りがよくなりました。
「あ〜、“台風ファミリー”と思ってたんだ! 台風お父さんと、台風お母さんと台風子供と...家族だと思ってたんだろ〜。一家だ。」
 ケタケタケタ...と、ま、、そう考えた経験が無いなら...笑うわね。

 でも、わたしにも言い分はありました。
 子供の頃に“イッカ”という音を聞いてイメージする漢字に、“一家”以上になじみのある文字はあるでしょうか?
 だいいち、“ 一過”なんて、今ですら日常会話では使いません。“台風が過ぎた後”で十分!!
 “タイフウイッカ”などという音はテレビの天気予報枠で発せられる程度の頻度なのです。子供が変換するなら、“一過”よりは“一家”が、自然ではありませんか。
「ない、ない。」
 と、主人はわたしの主張を却下。そもそも、それじゃ意味が通じないだろうと言うのですが、でも、それを言うなら、子供の内は意味不明な事象などい〜っぱいあるもんね。次から次と、台風が発生する季節に“台風ファミリー”が存在しても、おかしくはないではありませんか。
「お〜かしい。」 ....そうです。
  その後、台風シーズンの度に、わたしは「お!“台風ファミリー”?」と、主人に過去の勘違いをからかわれる事になったのでした。もちろん、今となっては自分でも、よく納得...はできていないまでも折合いを付けていたなあと感じる勘違いですが、それで自己弁護を放棄するわけにはまいりません。

  台風一家の思い出話は、わたしの優れた記憶力が、ものごとを認知する能力を上回っていた結果の賜物(?)であって、認知した事柄を記憶している主人との差は、理解力ではなくては記憶力!つまりは、そんな昔の勘違いまでを記憶しているわたしはすごいではありませんか!という論理ですね。
  正しく理解した時がいつ頃だったかという問題は残りますが、記憶力に関しては、日々主人も認めるところなので、この理屈には多少説得力があったようです。もっとも、記憶力よりも特筆すべきは、台風ファミリーを生み出した想像力なのかもしれません。普通はね、“イッカ”を“一家”と変換しても、台風とはむすびつけられないので、その時(理解力が培われるまで)まで封印するか、あるいは....気になったら、聞くんですね。
  わたしの場合は....想像力のサポートゆえに、理解していないという自覚が不足していたのかもしれません。

 というのは、昔のお話。

 想像力が理解力に反比例するとは言いませんが、 実体験や経験との相性は、あまりよくないかも...。時を重ねるにつれて、自慢の想像力も『出番』がなくなるんですね。使わなければ...鈍るわけで、この年になるとさすがに、台風ファミリーの類いとは縁遠くなりました。

 でも困ったことに、想像力のサポートが減少しても、妙な勘違いはなくなりません。

 左のイメージは昨年の今頃、季節限定で発売されたクールバブですが、(たまたま)店頭で見かけたわたしは、これを“ブラックペッパーティー”と読んだものですから、しばらく購入を躊躇してしましました。

  直訳すれば、“黒胡椒茶”...また、妙なものを...と手に取った商品を一旦棚に戻して考えたものです。100歩譲って、スパイスティーのような物だとして...苺とメロンとブルーハワイ(この部分は正しく読めてる)風味だなんて....限定なら何でもいいってものじゃないしなあ.....と、スイカに塩なら分るけど、苺に胡椒ねえ...どうしよう...? ああ、イメージできない。(当たり前です。)

 この商品が、“フラッペパーティー”だと気づいたのは、ひとしきり、スパイシーなストロベリーについて、悩んだ後のことでした。別に『飲む』わけじゃないし、香りだけならハズレでも耐えられるだろうという判断で買って帰った商品は、胡椒とは全く無関係!

 読み間違いは不注意...その間違いにすぐに気がつかないのは...やっぱり、暴走する想像力故でしょうか。


                                         07/06/02 

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