感動半分...
 わたしが座席を譲られた理由

 過日、京都駅から平安神宮に向うバスの中で、座席を譲られたかのような体験をしました。
 ような...と言うのは、相手とわたしとの間にちゃんとしたコミュニケーションが成立しなかったため、先方の真意がわからなったんですよね。

 駅始発の低床バスにわたしが乗り込んだ時には、車内は満席で、後は車内の空間が乗客で埋まって行くばかりの混雑でした。で、前方に進んだわたしが、下のイメージ(同種の車内イメージを借りました。)矢印の座席横に立ち止まろうとした時、座っていた青年が黙って立ち上がると、数歩前に移動したのでした。
座席の前は、バスの前輪がある位置で、荷物置になるスペースを挟んで、高みの見物台のような最前列の座席という位置関係です。
 青年は最前列の座席の後ろ辺りに動いたものの「どうぞ」と言う一言もなければ、視線も合わないので....わたしも一緒戸惑いました。
 これは...つまり、席を譲ってもらったという状況??? 念の為に後方に高齢者がいないことを確かめてから、混み合う車内で空席を置くのも無駄だし...と、理由付けをして座ったのでした。

 少し脱線しますが、その数分前、空いた座席の後ろの席に座っていたj、青年とは無関係とおぼしき女性が、わたしの横にいた主人を見上げながら腰を浮かせかけたんですよね。こちらはアイコンタクトで、意図が明らかだったので、もちろん、お気遣い無くと断りました。
 振り返ってみると、空いた席にわたしが座っていいモノかどうかと主人の方を振り返る仕草に目に止めて、ダンナも座りたいのかな? ...じゃ、立った方がいいかな?という 心境になられたのかもと、思えないこともない状況でしたが、その時は、まさかの事態に驚きも二重奏でした。

 状況判断で、譲られた席に落ち着きながらも、わたしの気分は落ち着きませんでした。
 週末の京都市内、バスの行く手を遮るものも多く、乗車時間はそれなりに長くなります。座れてラッキーには違いないんですが...譲ってもらえてラッキーとは、案外....思うに抵抗があるものですね。

 お世辞半分としても、わたしは実年齢よりも若く見られることが常です。
 配達員が主婦ではなく娘だと勘違いしていたことが分かったことも...って、ま、昨今は独身だから主婦よりも若いという図式は成り立たなくなりましたけど、それでも実年齢を知った相手は、見事に驚きのリアクションをしてくれたものです。....と、言うよりなにより、実年齢だって『高齢者』枠外じゃありませんか。体調が悪かったわけでもなく、疲労感を発散していたつもりもありません。
 なのに、なぜ??
 どうして、わたしは席を譲ってもらうハメになったんだろう...と、疑問はつきませんでした。
 
 昔、席を譲られるのは年寄り扱いされたみたいで不快感があるという意見を聞いた時、他人の好意なんだから、素直に受け取ればいいのにね〜などと思ったことを覚えています。だからというわけではありませんけど、譲られる側の初体験で、わたしは不快感は抱きませんでした。とらわれたのは、単純な疑問です。

 というのも、何と言っても相手よりはわたしの方が年上なのは確かだし...真側でおばちゃんに立たれては、座っていにくかったのかもしれないし..と自己流解釈を頭の中で仕上げていたところ、最前列の座席が空いたのですが...青年の前に立っていた女性がその席に座るときに言葉をかわしたのです。お連れだったんですね。....つまりは..です、わたしは、連れの女性が立っているのに自分が座っていた青年に座席を譲られたと言うことになるじゃありませんか。

 何が彼をうごかしたのか...。
 何か全く別の事情で、たまたま立っただけだった(という雰囲気ではなかった...。)のか...等々、帰宅後も謎解きの話題は尽きませんでした。

 そして、唐突にひらめいたキーワード! 妊婦!
 わたしは、妊婦に間違えられたのかもしれません。そこまで若く見られるはずが無いと、主人には爆笑されて終わりましたが、若くはない妊婦だっているものね。....不本意ながら、それ以外の理由は無いように思えて....ま...何となく納得したのでした。

                                    15/06/17 

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