画面のレイアウトが乱れる方へ

 

ローマ、フィレンツェ、ヴェニスを12日間の急ぎ足で見て参りました。
観光名所やお勧めスポットなどは、美しい写真と共に多くのガイドブックで詳しい紹介を見ることができますから、ココで観光ガイド的な旅行記を展開することには、あまり意味を見出せません。
 たとえば、コロッセオの迫力を説明して、それを見たわたしの感想を伝えることよりも、駅前で剣士の衣装を付けたおじさんと一緒に写真を撮ってから、請求された金額が果たして妥当なものだったのかどうか、いつまでも悩んだというようなエピソードを中心に進めていくつもりです。         
                           01/01/16  




   

到着まで

 成田を発って十数時間、ミラノのマルペンサに到着したのは、時間で言えば夕刻ですが、景色は夜でした。
 主人との海外は年末年始のヨーロッパばかりで、到着はいつでも日が暮れてから、です。

 みぞれまじりのマルペンサでは、あろうことかボーディングブリッチに見放され、乗客は駐機場から空港の建物までバスで運ばれました。まるで、地方都市の小さな空港に着いた気分でしたけど、もちろん、マルペンサはハブ空港です。
 お迎えのバスは横広、低床の2車両連結の特殊なタイプでした。さすがの国際空港、とバスに感心していると、このバス、運転席に誰もいないのにドアが閉まってエンジンがかかったので、びっくり! 「無人バスだ!」と主人とふたりで目を見合わせた瞬間、わたしたちは後ろにひっぱられました。バスは、反対側にも運転席があって、ターンをすることなくどちら方向にも発進が可能だったのです。バスの最前部に乗ったつもりのわたしたちは、実は最後部に立っていたわけで、進行方向側の運転席には、ちゃんと人が座っていました。


 無人バスではありませんでしたけど、主人にいわせると、双方向に発進可能なバスの方が無人バスよりもおもしろいそうで、ボーディングブリッジがなかったイタリアでの第1歩は、結果として非常に印象深いものになりました。

 ローマへ乗り継ぐ便への待ち合わせ時間は、三時間余り...遅延で有名(?)なアリタリア故、このくらいの時間は必要だと思っていましたが、ほぼ定刻に到着で(コード・シェア便ということも関係したでしょうか?)、余裕があり過ぎでした。
 本来ならこの時間、“見るだけショッピング”などを楽しんで、気分を盛り上げるところですが、マルペンサではカートが見当たらず、それどころの話でなくなりました。
 もちろん、トランクはローマでの受け取りでしたから、わたしたちが携行していたのは機内持ち込み用のバッグだけなのですけど、大きくはなくても中身のつまったバッグはなかなかの重量ですし、(屋内では暑くて脱いだ)コートも場所をとりました。以前は空港内の移動の為に折りたたみのカートを持参していたものです。ただ、前回、前々回のド・ゴールヒースローではいたるところに備品のカートがあって、税関の内も外も、ショップの店内も、カートの利用制限がなかったのですね。その、ありがたい状況では、持参のカートに活躍の場を与えることはできません。余分な荷物と化してしまったカートを、今回は思いきって持参するのをやめたのですけど....これは判断を誤りました。
  カートを持ち込めないエリアが多い成田関空が“できがわるい”のではなく、空港の出入り口から搭乗口までカートと一緒に動き回ることができるヒースローが“できずぎ”だったのでしょうか?

 とにかくも、マルペンサのカートサービスは日本と同じレベルでした。
 目的がハッキリしているならともかく、下手に動き回れば汗と筋肉痛に悩まされるだけ、ということで椅子に座って大半の時間を過ごしました。トイレの便器からはすべて便座が消え失せているし(一瞬、間違えて男性用に入っちゃったかと思いました。)喫煙は自由と見えて、建物内はやたらと煙たかったです。おまけに帰国時はストライキに遭遇するし....あまりいい印象が持てなかった空港です。もっとも、(寄り道をせずに出口へ向かった為)思い出せるものが何もない、最終目的地ローマと比べると、マルペンサは記憶に残る空港ではあったようです。

 ローマ、フィミチーノ空港に到着したのは20時30分を越えてから。かけねなしの“夜”ですね。
 今回は、アリタリアの地上サービスで、空港からホテルまでの送迎が着いていましたから、タクシー待ちのロスタイムはありません。
 トランクを受け取って出口に向かうと、ガラスの向こうに見えたのは、名前書いた紙を広げて待ち構えるラテン系のおじさんたち...。わたしは、人種に関して深刻な感情は持っていないつもりですが、馴染みの薄い外観の人たちが大勢、こっちを見ているという状況には、ちょっと引いてしまいました。
  わたしたちを含めて、乗客が出口に向かうと同時におじさんたちは紙を掲げて、1歩、2歩と前に出てくるので、圧迫感に襲われたというのが正直なところでしょうか...。みなさん、とにかく大きくて....スムーズな意志の疎通が可能なのかという心配もチラリと...。ざっと見回しても我が家のファミリーネームは、すぐには見つかりません。ちょっと立ち止まると、より近くに名前を名前を書いた紙が迫ってきます。紙を指差すおじさんたちと首を振るわたしたち....言葉ではなくジェスチャーでの会話でした。
 幸い(誤解を招きそうで...この場面では使いたくない言葉ですが...)わたしたちを待っていてくれたのは、母国語は英米語かな、と思える青年でした。大きなおじさん達の壁に遮られていたのか、気が付いたら、いつの間にかそばにいました。英会話学校の講師をイメージしていただければよいかと思います。わたしの英語能力で会話は成立しましたし....なにぶん初対面ですから、袖まくりして逞しい腕を出しているおじさんより、スマートにジャケットを着こなした青年の方が安心感をくれたのは否定できません。でも、ベンツが動き出した後は、その安心感も吹っ飛びそうでした。
 北海道の高速道路でだって、これほどのスピードは出さないだろと思えるほどの高速運転で...。
 そのうえ、なにやらゴソゴソしていると思ったら、「キャンディをど〜ぞ」と缶を差し出すではありませんか。片手はハンドル、片手の上にはキャンディ缶、そして視線は、後部座席のわたしたちに...。(わたしたちがキャンディを取ったあと、彼は片手でキャンディの包みをひらいて、自分でもほおばっていました。)
 フライトは快適だった?とか、ローマは何回目?とかいろいろと話しかけてくれるのですが、その度に、視線が前方からわたしたちに向けられるので、緊迫感漂う会話でした。
 お話する時は相手の目を見て、なのでしょうけど、運転中は前を見ていて欲しかった...。
 もっとも、結果として、事故をおこすことも、事故に巻き込まれることもなく、予定所要時間よりも早くホテルに送ってもらえたのですから、文句の付けようもないのですけど...スリルを味わいました。
 
 でも、少し不思議だったのは、「じゃあね、いい休日を。」「ありがとう。」と握手をして別れたものの、送迎依頼の控えがわたしたちの手許に残されたままだったこと。

 会ってすぐに、確認の為にその控えを見せはしたのですが、彼は控えを必要としないようでした。わたしたちが何かにサインをするということもありませんでしたし.....送るべきゲストを送るべき場所まで確実に送り届けたという証明は、なくても問題ないものなのでしょうか? 
 いずれにしても、ちょっとした勘違いで別のホテルに連れて行かれなくて良かったです。

                                          02/05/17 

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