みんなの好きな トマムの記憶(投稿編)
水色文字はJUNのコメント 日付はコメントUPの日時で、投稿日とはタイムラグがあります。
ドアマンの制服(ちよ坊さん)
むか〜し、むかし。まだガレリアができる前、ホテルとタワーの前にはそれぞれすてきな制服に身を包んだスタッフがおりました。特に、タワーのスタッフのマント姿は温かそうで、とっても素敵でした。ジャンパー姿のスタッフの方はおりませんでした…。
ああ〜、そうでした!と言えるほど確かな記憶がないのですが、ただ、到着した時の印象はしっかりと思い出せます。「え? スキー場じゃないみたい...。」これでした。
初めての宿泊はホテルで、他にはタワー 1本の時代(ヴィレッジは視界に入りませんでした。)。ツアーの到着が夕方だったので、エリアの広さに驚かされるのは翌日のことで、到着した時は、ただ、贅沢なホテルの造りと落ち着いた雰囲気に感動したものです。時間の流れ方が違っている....思えば、ヨーロッパの街に立った時と同じような印象をトマムで抱いていたんですね。スペースに対してまだまだベッド数が少なく、スタッフの動きにも余裕があったように思います。
ホテル運営のノウハウをオークラに学んだと聞かされた時にも、すんなり納得できたものでした。
05/12/22
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ガレリアのエレベーター(ちよ坊さん)
その昔、ガレリアのエレベーターは鍵がなければ、レストラン以外の階で降りることができませんでした。
スタッフからこの説明を受けた時は、「へえ〜。」の一言でした。
それまでの自分の体験の中ではなかったシステムや価値観は、 トマムの非日常性をいっそう高めていたかも...。ただ、その時に「鍵を持たずに出たら、部屋に戻れないやん?」と言った主人の懸念は、当たらずとも遠からずだったのかな? 割と早い段階で鍵は不要になりましたね。ポピュラーとは言えないシステムに、ゲストが馴染む前にトマムの方が諦めた....?
05/12/22
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樹海(千葉の道産子さん ちよ坊さん)
一番好きだったのが、「樹海」でした。食べたいものだけを選び、正に樹海のなかでゆったりと過ごす時が、リゾートそのものと感じた次第です。(千葉の道産子さん)
私も樹海が大好きでした。ここはスキーの途中でより、ブーツのまま外から入ることのできるスペースがあり、よくお茶をしました。また、スキーをせず、ぼんやりと樹木に降り積もる雪をながめているのも大好きでした。樹海でなくなってしまってからは一度も行っておりませんので、今はどうなっていることやら…。 (ちよ坊さん)
樹海のはがきか何かなかったかな...とちょっと探しては見たんですが、早々諦めて、90年の資料からイメージを借りしました。
わたしも利用回数は多くはありませんが、やはり景観が印象深かった店です。樹海時代はガレリアもなく、パノラマビューを堪能できるレストランといえば、樹海でした。針葉樹の森に囲まれたガラス張りのメガレストラン...このガラスが内外の気温差にも関わらず、曇ることなく自然とも一体感を楽しめるというこだわりは、後のヴィズも同じですね。
店内から外を見た時の、スケールは圧巻でした。
外から入ることのできるスペースというのは、2階部分でしたっけ...。『樹海」の案内板が立てられていました。
90年当時は、朝食、昼食、夕食とも営業していた、トマムの名物レストランでしたよね。後にトマムの達人でも存在があかされる“三島農園”(敷地内に開拓したらしい自家農園)でおなじみの三島博文氏が、樹海の料理長として紹介されていた時代、樹海がイメージしていたスタイルは、『欧米のリゾート地でよく見かけるカフェテリア方式(90年、レストラン紹介)』....。バイキングという単語が使われていなかったのかが、何となくトマムらしいなと、今になって感じさせられます。
秋には、収穫祭、冬にはカニ鍋フェアなどの企画もあって、お腹だけではなく、舌も眼も満足させてもらいました。
05/12/29
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バー ラ ルージュ(ちよ坊さん ポンタさん こだぬきさん)
その昔ホテルの四季(今はもうなくなってしまったのでしたっけ。)の上には素敵なバーがありました。12月25日の深夜には新得の教会の牧師様がトマムでのクリスマス礼拝を終えられて、一人静かにお酒を召し上がっていたものでした。(ちよ坊さん)
、ラ・ジュールもなくなってしまったことを、
JUNさんの書き込みで知り、ひたすら落ち込み、立ち直れなくなっておりました・・・。主人と付き合い始めたきっかけも、プロポーズもトマム。
結婚式もトマムの予定なのに・・・。思い出の地だけど、思い出の場所がなくなっていくことが悲しくてしょうがありません。(ポンタさん)
今は無きホテルのバーでの記憶が蘇ります。生まれて初めて『カマンベールチーズのフライ』を食べたあの驚き。。。ホテルサホロのカクテル『ラベンダー』とワンセットで思い出される一品でした。 (こだぬきさん)
ホテル・アルファ・トマム5階にあったバー・ラ ルージュ。テーブル席側にの下にはラウンジ四季、目線をあげれば、曇らないガラス窓のむこうにトマムの自然を感じることのできるロケーション。
他のラウンジがティータイム営業を兼ねていたのに対して、ルージュはバータイム専用で、
オールドファンには、懐かしい、隠れ家的雰囲気を持った店でした。
重厚な扉がその先の空間を独特のものにしている感じがして、我家の最初の利用は、トマムに通いだしてから数年目の冬のこと。そして、カウンターを挟んでバーテンダーからアルファコーポレーション破綻の予兆めいた話を聞かされたのが、最後の利用となりました。
記憶をさかのぼってみれば、...98年以降、トマムでバーテンダーを見かける機会がなくなりましたね。
(イメージは90年VAKANZA INFORMETIONより)
09/04/01
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オールドトマムのクオリティ(kazuさん)
ホテルアルファの館内外は快適で、昼はランドカー(電動カート)の貸し出しや(施設内を自由に走行できました)テニス、夜はラ・ルージュ(ディスコです。死語でしょうか?)と実際には時間が余ることなど無い滞在でした。と実際には時間が余ることなど無い滞在でした。これで味を占めてしまった私はヴィレッジアルファの住人となり、トマムライフをスタートさせたのでした。
トマムの成長はある時までは喜ばしいものでした。VIZが完成したときの感動は今でも鮮烈で、規模もそうですが、施設で使用しているバスローブが最高級のエジプト綿でしかも風合いが変わるため数十回(確か10〜20回位だったと思います)しか使わないとの話を聞いてトマムのクオリティーの高さを再認識した記憶があります。VIZの隣にはオスカースイート(全室スイートの小規模ホテル)があり、友人が滞在した時にはルームサービスでフルコースをオーダーする事も可能でした。この頃までが私の中の「本当のトマム」です。
初トマムは,タワーも建っていない頃、目的は水の教会の見学だったというkazuさんから、『いい時代』のトマムのお話をいただきました。贅が景色も人をも美しくした時代ですよね。
毎冬のように新設施設がどれも(その外観も内容も)ときめきを誘うものばかりで、わたしも『次』が待ち遠しかった記憶があります。
開業時のオスカーは、
オスカースウィートホテル&スパが正式名称でした。低層と中高層の二つの建物から構成され、いずれヴィズと専用通路でつながるとかで...部屋からバスローヴのままヴィズに行くことができる(予定)などという話をスタッフから聞かされた時、ゲストが館内をローヴ姿で歩くイメージに、ワイキキのホテルを連想させられたものです。付帯施設が整う前に開発が止まってしまったせいか、オスカーはごく早い時期に、ほとんど営業されなくなって、我が家も利用の機会を逃した施設です。クラシックエレガンスのエンテリアが封印されたまま....今はもう...と考えると、惜しまれてなりません。
08/05/21
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無料イベントとスカイウォーク(SKYWALKさん)
樹海で無料コンサートも結構やっていたんですよね。
ハイファイセット、サーカス、タイムファイブなどを楽しみました。
ホテルアルファのロビーで服部克久さんのトークショーもありました。
そのとき、フォーレスタモールのクンルンでお隣のテーブルでお食事されていました。
私が初めて行ったときはまだタワー?が建設中、会員権募集中でした。
あの景色に感動して購入しました。会員権はパアになりましたが、それでも十分に楽しませてもらいました。
カメリアや三角の朝食ビュッフェは(高かったけど)おいしかった。
スカイウォークが出来てビレッジに行くのが楽になりました。VIZが出来た時も感動でした。
イベントは多かったですよね。
ロビーコンサート,夏祭りや収穫祭...
ほかのゲストやスタッフと言葉をかわす機会を得ていた気がします。場所と時を共有している実感も生じやすくて、スカイウォークなどの限られた空間ですれ違う見知らぬもの同士が、軽く挨拶をかわすことも珍しくありませんでした。トマムで迎える朝は、おはようを言う回数がダントツに多かった...。
当サイトでトマム情報を始めた2000円頃、スカイウォークが長いだの、寒いだのと批判をネット上でもよく見かけました。足下を気にせず視界とざされることなく移動できる、せっかくの環境を楽しめないなら「来るな。」(“行くな”では無く“来るな”とという感覚でした。)と言いたかったですね。今更ながらですが、トマムにはドップリと魅せられていたんだと感じます。
08/05/21
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