買った腕時計の文字盤は漢数字!
                
                   シンガポール
  始まりは義父からの電話だった。

 新聞の広告か何かで、3泊4日の東北旅行の案内が載っていたらしく、それが随分とお値打ち価格だと言う...。
 義父は、最近ではさすがに足の方に不安がでてきたものの、旅行も趣味の内という人だったから、当時、こういう話は珍しくなかった。蒸し暑い西日本を離れての東北旅行はなかなか魅力的に見えたに違いない。ところが、電話を代わった主人が、「そんだけ出すなら、シンガポールに行けるんとちゃうか?」
と言った為に初夏の東北がシンガポールに変わってしまったのである。

 だが、この時より2年前、義父母はシンガポールツアーに参加していて、娘と嫁から渡されたお土産リクエストリストを片手に汗だくになったという経緯がある。よりによって、また同じところに...と思っていたら、行くのは義妹とわたしだということになっていて、驚いた。
  「涼しいとこに行くはずだったのに、お兄ちゃんのせいで暑いとこになった
。」という義妹の解説からすると、そもそもの東北旅行も、誰が行く話しだっかのか....。暑いところは、わたしも苦手である。でも、招待(?)してくれるというのなら断る理由はないので、急きょシンガポールのガイドを読みあさった。
 義妹とふたりで、決めたのは、現地ガイドのサポートや1日の観光ガイドは付くものの、ホテルと飛行機がセットになったフリースティーのプランで、「どうせ、買い物ツアーみたいなもんだから...。」という主人のアドヴァイスを受けて、ホテルは市内の中心にあるものを選んだ。

 ブランドのバッグに興味がないと言えば、ウソになるが、わたしたちが積極的に買ったのはクリストフルのカトラリーやコペンハーゲンのカップ、スワロフスキーのクリスタルなどだった。自分自身にはスリーカラーのチェーンネックレスを選んだが....それは、ツアー後半の話で、初日の市内観光で義妹とわたしは腕時計を買った。観光ルートのお決まりで、民芸品店や観光客相手のショップには案内されるもので、その内の一件での購入だった。
 アクセサリーと時計を扱う小さな店だったが、品数は多かった。
 義妹はエルメスを選んでいたようだったが、わたしの目的は、主人好みのロンジンオメガのペアウォッチである。どれも大差がないように見える中で、文字盤が美しいデザインが目に止まった。ロンジンの150周年記念モデルのひとつということで、スタッフは時計を裏返して裏蓋に刻印された150の数字を示しながら、付加価値をアピールした。限定もの云々はともかく、何かの模様のように見える文字盤が気にいって、わたしはそれをペアで購入した。

 その日1日、猛暑の中での観光を終えて戻ったホテルの部屋で“お買い物”の成果を眺めたり、見せあったりして楽しんでいる時、義妹もわたしが選んだロンジンの文字盤に興味をひかれたようだった。

「綺麗〜。」
「でしょ? めずらしいよね。」
「模様みたいだ。見せて!見せて!」

 義妹が腕時計を手にして、へえ〜、と言う横で、わたしは、満足度100パーセントに近い状態だった。いい買い物をしたと...。ところが、それから数分後、義妹が思いがけないことを発見してしまった。
「あ、これ、漢字だ...。」
「エ〜!」

 後で、わたしはドップリと自己嫌悪におちいることになるのだが、この瞬間の“エ〜!”は“しまった〜!”に通じるリアクションだった。
 信じたくない思いで、あらためて眺めると、文字盤の模様らしきものは、壱、弐、参...という漢数字の崩し文字だったのである。 偽物をつかまされたとは考えなかったが、どうしてこういうものが存在するのか...。アジア向けにデザインされたもの、と言えばそれまでだが、わたしは、いはばヨーロッパ製品に憧れるアジア人だったから、せっかくのロンジンに、なんで漢字が侵入するの、というのが正直なところだった。
 ただ、当時はまだ若く、そして(多分)純な部分も残っていたわたしは、自分がショックを受けたことで、落ち込んでしまった。
 気に入って買った物なのに、文字盤が漢数字だからといって何の問題があるのか...。ローマ数字なら平気なのに、漢数字に抵抗を感じるなんて....自分の中に、普段は気付かなかった偏見のようなものを見てしまった思いで、わたしは文字通り自己嫌悪の固まりと化して、無口になった。
 傍から見れば、暗い空気を漂わせていたに違いない。義妹は「漢字だってステキだよ。」と無責任なことはいわなかった。自己嫌悪はともかく、ヨーロッパブランドにアジアンテイストを歓迎できないわたしの感情を、彼女は気付いていたし、おそらく理解もしたのだろう。義妹の提案は、主人に電話をして意見を聞こうというものだった。腕時計は主人の腕にはまるはずのものなのだから、その提案は理にかなうものだった。
 そして、持っているぶんにはおもしろいけど、時計として使うには勇気がいる、というほぼ予想された主人の見解を得て、翌日、わたしは時計を交換してもらう為に土産物店を再訪した。
 主人の希望が、見やすくシンプルな文字盤だったので...というのが店のスタッフに伝えた、交換の理由だった。

 その理由を本気にしたかどうかは分からないが、スタッフはプロフェッショナルな笑顔をみせて、交換に応じてくれた。

 
 漢数字文字盤のかわりに注意深く選んだロンジンのペアウォッチは、ごく当たり前の文字盤ながら、復刻版のモデルということで、少しレトロな雰囲気のあるデザインだった。
  主人が喜んだのはもちろんだが、最初からそれを選ばなかったのが不思議に思えるくらい、わたしもかなり気に入って使っていた。
  だが、それから2年後、大事にしまったつもりの場所に自分の時計を見つけられず、1ヶ月あまり捜しまわった後、わたしは、なくしてしまった事実を受け入れることになった。
 心を乱し、時間をかけて得てきた記念の腕時計が、ペアウォッチとして活躍したのは、わずかの期間だった。

 
                                       
02/07/08 

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