こちらに、
 お名前ではなくサインをお願いします

              シンガポール

 義妹とふたり、食事なし、1日観光以外は終日フリーというスケージュールでシンガポールに乗り込んだ。

 添乗員同行、現地ガイド付き、移動は専用バス、ドライバー付き、終日観光,3食付きという至れり尽くせりのドイツ旅行が無事に終わった為に、海外に慣れた気分で自由行動一杯の商品を選んだ結果、空腹感も少なかった初日の夕食は、ケーキだったことを覚えている。

 参加を予定していたオプショナルツアーが人員不足で不催行。現地のサポートスタッフが手配してくれたタクシーで、わたしたちは二人だけでバードショーを見学に行った。「こんちわ」「あちゅいね」「たいへん」等の数個の日本語を操るドライバーと、なんとか通じてはいるかな...?と思える程度の英語を度胸で口にするわたしたちとで、よく1日持ったと感心する他はないが、大きなトラブルもなく楽しく過ごせた経験が,もうそれ以上つける必要のない度胸を、わたしたちに上乗せした。義妹の記憶によれば、わたしは後2、3日もいれは,英語もペラペラになれそうな気分だと豪語したそうだ。正しい見解だったとは思えないが、かなりテンションが上がっていたことは確かである。

 その勢いで、帰国前夜の夜、わたしたちはホテルの最上階のレストランを利用した。
 予約をするのが基本かもしれないという知識はあったが、店のメニューも価格レベルも雰囲気も知らない状態での電話は避けたかった。とりあえず行ってみて、必要ならその場で予約を入れて出直そうという話に落ち着いた。
 ハイヒールに履き替えて突入したわたしたちは、当然のごとく予約の名前を尋ねられた。

「予約してないんです。」
「予約が必要ですか? 満席ですか? 」
「あ、じゃ、後でまた来ます。」と言いたいことだけ行って戻ろうとしたら、呼び止められた。

 テーブルの用意をするから少し待てと言う。
 ...でも、一杯なのでしょ?と応じると、本当かどうか『特別になんとかする』というのである。

 どうやら、わたしたちは珍客だったようで、日本人の『女の子』の二人連れは、それなりに歓迎された。『女の子』という年ではもちろんなかったが...実は、空港で出迎えてくれた現地スタッフに、わたしたちは10代の子供だと,認識された経緯がある。彼女は日本から送られていたわたしたちのデータの年齢が間違っていると解釈していて、パスポートをチェックした後で、ぶしつけな程マジマジと観察された。
  若く...というより(当時は実態が若かったので)幼く見えたのだ。

 つまりは、ホテルの最上階のレストランに子供が二人でやって来た ...というに近い状況で,わたしたちは店に迎え入れられたに違いない。

 席に着くと、スタッフからのプレゼントだということで、脚付きのトレイに盛られてた10数粒のミントチョコのボンボンが運ばれて来た。わたしたちは思わぬプレゼントに喜び、スタッフの助けを借りて、オーダーを完了した。そのあとで、わたしはオーダー内容が記載された伝票に名前を書かされた。
  いい加減で、不用心な話だが、わたしは部屋付けの手続きかとの認識で、その空欄にカードと同じサインをした。何しろ海外のレストランで、自分でオーダーするのも,清算するのも初めてのことだったから、手順に対して無頓着だったのだ。
 
 食事が終わり,満腹のお腹を抱えて、それでもデザートに挑んでいると,先に名前を書いた伝票が再登場した。
「こちらにサインを...」と示された空欄の上には、既に自分の名前がある。
「あら? また書くの?」と思いつつ、一応「これと同じ名前を書けばいいのね?」と 確認したから、話がもつれた。スタッフは、違う、と言う。

「これは、名前。」 と先に書いた部分を指し「こっちにサイン 」 と空欄を指す。
「これがわたしの名前で、わたしのサイン...?」 同じものだ。
「違う。ちがう。」
 彼は困惑していた。言葉で説明するのを諦めて、フロアに片膝を付き、 テーブルの受けに紙片を置くと、「わたしの名前は※※」と言いつつ文字を書いた。フムフムとわたしたちは納得して見ていた。次に「わたしのサインは..※※」といいながら、少し違う文字を書いた。この文字の違いで、なぜ悟れなかったのか、自分でも不思議でしようがないが、思い込みというのは恐ろしい。
「わたしの名前は... 」とわたしは先に書いたサインを指し発音し、「わたしの、サインは...」....。
「おなじだよね〜!」と、義妹とわたしの結論はシンクロした。
  名前を書けと言われた時にサインをしてしまってるのだから、当たり前の結論だったが、気の毒なスタッフは、彼が要求するサインをわたしに書かせるのを諦めて、テーブルを離れた。
 先に書いたのが、実はサインでしたと、その一言が最後まで思い浮かばなかったのが悔やまれる。

 サイン乱発が覚えの無い請求に繋がらなかったことを喜ぶべきか、サインの無い伝票がキチンと処理されたことを危ぶむべきか...ともかくもスタッフの徒労の数分間は、わたしたちに原因のある実害だった。

                                       
                                       05/11/10 

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