パスポ-トを見せずに出国?
              
                  日本 大坂空港

義妹がドイツに行きたいと言い出した。

 大学では、外国語としてドイツ語を選んだというから、もともと興味のある国だったのだろう。ロマンチック街道というネ-ミングがポピュラ-になってきていた頃である。だが、いくらポピュラ-でも、ディズニ-ランド(東京の)に行くノリでは友達を誘えない。誰か....と見回したところ、いた!いた! 暇な専業主婦が!
 「ちょっと、おにいちゃんに我慢してもらおう。」ということで、義父から主人に電話がかかってきたのは、結婚後、1年経たない時である。わたしにとっては、棚からボタもちのドイツ行きだった。
 義妹は初めての、わたしとしても新婚旅行以来の2度目の海外旅行である。
 義父母からの条件もあって、全行程食事付きの、日本から添乗員が同行する10日間のコ-スを選んだ。


 わたしたちは神社につれて行かれて、(旅の無事を祈願 して)お払いを受けた。あとで聞いた話だが、義母はなによりも喧嘩を懸念していたらしい。願をかけて1年間、和服をつくらなかったそうだ。わたしは正真正銘の、義妹も、主人が大学で家を離れてからは一人娘とかわらない。マイペ-スなふたりをペアにして送りだす事が決まった後、無事に帰国するまで、義母の心配は尽きなかったようだ。
 と、いうようなことは、その時は全く知らなかった。
 義妹とわたしにとっての当面の問題は、機内持ち込みのオヤツが足りるかどうか、長期間のフライトで避けられない肌の乾燥や足のむくみにいかに対処するかというようなことで、そして、10日間、付き合うことになる添乗員(さん)が『ヤなヤツ』でなければいいね、ということだった。

 その、添乗員さんと合流するのは、成田空港だった。


 わたしたちは大坂空港から成田行きの飛行機に乗る事になった。
 トランクを預けた後、貴重品と機内での必需品とオヤツだけの軽装?になって、先に進むと、あまり馴染みのない場所にでた。たまたま係り員以外しかいなかったそこを、グルリとひと回りしている内に、わたしはひらめいた。
「あ!  持ち出しの申告するんだ! 外国製品の!」
「えー? ここでするの ?」
「ここなんじゃない? だって、ほら。」
それらしき用紙もあった。ふたりとも、あらかじめ、申告するべきモノは認識していたので、あとはスムーズだった。
 そうなると、次は出国である。
 とりあえずの行き先が成田なので、ピンとこないが、行く手をとうせんぼするようにズラリとブースが並ぶそこは、確かに出国ゲートであった。
 旅行客はまばらで、待つ ことなく通り過ぎて行く。

 わたしは、義妹の後に続く為に、所定の位置で待った。
 彼女が係りのおじさんと何か言葉を交わして、ブースを通り抜けたので、わたしは前に進んだ。と、同時におじさんが身を乗り出すようにして、義妹を呼び止めた。ものすごく、慌てているようだった。「なんなの?」という様子で戻った義妹と「どしたの?」と思って走り寄ったわたしは、ふたり並んでおじさんを見上げた。
 一瞬の沈黙があった。
 「パスポート...。」と、おじさんは彼女に向かって言った。
 「パスポート、見せてくれなきゃ。」
 義妹は(もちろん)素直にポシェットからパスポートを出して渡したが、ついでに一言付け加えた。
 「ココ、通っていいですか?って聞いたら、どうぞ、っていうから、通ったのに!」
 「....言ったけど.....。」
 おじさんは、今度はわたしのパスポートを不本意な様子で受け取りながら答えた。
 「でも、パスポートは見せてくれないと。こっから、向こうは、もう外国だよ。いいの?」
 何が、「いいの?」なのか 分からなかった。
 「向こうに出るとね、もう、こっからこっちには戻ってこれないんだよ。
 戻る予定のないわたしたちは「いいです。」と言って、返してもらったパスポートを(なくさないように) ポシェットにしまった。

 「通っていいですか?」と聞くと、おじさんは「いいんだけど...。」と煮え切らない。
 「忘れ物あっても、もう、戻れないよ。大丈夫だね?」と念を押された。
 大丈夫、と言っているにもかかわらず、その後、また、2度ほど「いいんだね。」と聞かれて、わたしたちは漸く出国させてもらった。

 「ほんとうに、気を付けていってらっしゃいヨ!」と言うおじさんの言葉が
ひどく不安そうだった。
 事実、不安だったのだろうと、今は理解できる。

                                          
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