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2013年、アルファ リゾート・トマム改め星野リゾート・トマムでは、西エリアの宿泊施設、ヴィラ・スポルトが閉鎖されたようです。
 それ以前にトマムは名称を星野リゾート・トマムに変更し、生まれ変わったとコメントが公式HPにて掲載されていました。

 二十数年続いたトマムの利用を見合わせててから早5年....もはや、トマムの変貌はよそ様の事情というべき話で、縁を失った者が口を挟む筋ではありませんが、かつての縁が在りし日のスポルトを偲ばせます。今日の結果を嘆くかわりに記憶をひもとき、スポルトの思い出を彩りましょう。

 当ページは、アルファ・リゾート・トマムユーザーを対象にしたレポートです。
 トマムの“民事再生法申請”報道についてアルファと星野、どっちがどっち?等と併せてご覧ください。


 

 

 



    



 通称、西エリア、トマム山のふもと、リゾートセンターの近くに開発が計画されたエリアに最初にオープンした宿泊施設がヴィラ・スポルトでした。後にヴィラ・スポルト1と呼ばれた建物はお馴染みのトマムカラー....素焼きタイル仕様のシックな外観でしたが、客室は南欧イメージの明るい路線に変更されました。これからのホテルは明るくなくちゃダメという、開発者の一声(という話でした)での変更は、それ以降、外観にも反映されて、タイル張りではなくなった施設を見た当初は、それなりの違和感がありましたっけね。どうせなら決断をもう一歩早く、スポルト1の計画段階でしてくれなくちゃ、ねえ。スポルト2を囲むようにオスカー、ヴィズ、アビチ(正式名称はヴィラ・マルシェ。アビチは未完成マルシェの出発点でした)が完成すると、スポルト1のトマムカラーが逆に非調和の因となって.....しばらくは見る度に惜しんだのを思い出します。

 開発初期、村の公共施設も『おそろい』にしたというトマムカラーは、アピールポイントの一つで、プロジェクトの広がりを印象づけられました。ただ、外壁タイルのはがれが割と早い段階ではじまり、即応の補修もままならあい状況が長びくにつれ、トマムのように寒暖の差が激しい環境下でのタイル仕様はリスクも大きいという意見も漏れ聞こえるようになりました。当初は、勢いがリスクをも呑み込んでしまっていたということでしょうか。

 西エリアの誕生は、アルファ・コーポレーションの勢いにかげりが見えだした時期のこと。
 明るい宿泊施設はコストダウンの策のようにも思えましたが....ヴィスとゲレンデに囲まれたロケーションメリットと、客室のスケールメリットに魅せられて、我家はよくスポルトを利用しました。ゲレンデ(ロッカールーム)、ヴィズ、館内レストランへのアクセスが便利なスポルト2は、地上3階建ての、トマムではもっとも低層の施設でした。ガレリアから見下ろすような、雄大な景観を眺めることはできませんでしたが、大自然の中での一角、建物に囲まれた滞在環境もまた、特殊なものでした。ガレリアの圧倒的な非日常感に対して、西エリアは非日常を日常のように楽しめる場所だったように思います。自宅のようなくつろぎ...とはいわないまでも、年に何度かの『いつもの場所』には興奮や感動よりも、慣れた快適さがありました。

 “棲むように滞在する”.....長期滞在仕様の客室はタワーよりも相当広く、ホテルのデラックスルーム以上の面積があてられ、バスルームにも余裕がありました。外壁はともかく、室内の明るさも確かに、室内にいる時間が多くなる状況では必須アイテムでしたけ。ホテルといえば落ち着きと趣きを優先した間接照明、少々暗めが当たり前だった頃に、明るさ重視の路線変更は、もっともっと評価されるべきだった気がします。...今となっては...の話ですけどね。

 ただ、未完の巨大リゾート、アルファ・リゾート・トマムで、未完の影響が大きかった西エリアの宿泊施設は開業直後からクローズ状態が目立ちました。
 そりゃね、水の教会に続く水の劇場、国際会議場、プライベート空港などは....できたらいたらどんな風になるんだろう?という想像の域の計画はともかく(実現しなくても、格別の不自由は無かった)、レスTラン、ショッピングモール、朝市に、美容室、銀行....街を形成する様々なアイテム込みで計画された西エリアは、宿泊施設の一部の開業だけでは棲めませんものね。スカイウォーク未接続のオスカーはスポルト館内経由でゲレンデに出なければならないし、メガレストラン併設予定のアビチ(ヴィラ・マルシェ)には、館内レストラン設備もないというわけで、(当時の現状では)使い勝手はよくなかったのでしょうね。そんな中で、西エリアに灯りをともしつづけたのが、ヴィズとスポルトだったのです。未完のエリアでも、ゲレンデへのアクセスのよさ(オスカー、アビチは、車道を横切らなくてはなりませんでした。) と、スポルト2開業時点で館内にショップとレストランがあったのが強みといいましょうか、スポルトは未完の不自由さを最小限にして滞在出来る施設でした。
 館内レストラン、アプリコはビュッフェ営業が主だったので、我家は夕食煮利用することは殆どありませんでしたが
 テラス側の扉が開放される夏場などは、いい演出がなされていたと思います。残念ながらそれも一時期の話で、西エリア唯一の朝食と夕食営業のレストランとしてアプリコは...思えば孤軍奮闘.....スタイルは流動的で、最後まで模索していた気がします。
 夕食に出向いたルミエールから、闇の奥にひっそりと灯るスポルトの灯りを眺めながら、その街の灯りがもう少し広がることを,わたしたちが期待したのは,どのくらいの間だったでしょう?

 開業時のトラブルの余波もあってか、西エリアの宿泊施設は何となくお荷物的な印象がつきまとって、次への諦めは、(我家では))早かった気がします。
 アビチがマルシェにならなくても、スポルトとオスカーが接続されなくても、既存の施設がそれなりに稼働すればヨシ!と言うところで折り合いをつけるつもりで数年外壁の違和感が満足度レベルを下げた開業年以上の賑わい(オスカーにも灯りがともっていました)は戻りませんでした。

 アルファ・コーポレーションの破綻以降、占冠村の所有になっていたガレリアと西エリアの各施設は、分割運営の1年間には、“復活”という単語をつかいたくなるくらいに活かされましたっけね。何年振りかで、スポルト内のバー、モンドールも営業を再開、諦めていた“賑わい”への期待もちょこっと頭をもたげかけました。
 が、それが最後...でしたっけ。

 加森観光の運営撤退後は、村は所有施設の運営を(星野リゾートの所有施設とともに)一括して星野リゾートに任せる以外の選択は無かったと理解できますが、運営委託云々ではなく、5年間(だったかな?)星野リゾートが村の所有施設を借り受けるということで話が落ち着いたと聞きます。その賃貸料が非常識な安値で....ビックリしたのを覚えていますけど、借りているはずのヴィズは即座にロゴプールやサウナココテージがこわされたわけで、賃貸、実は....だったのかもしれませんね。ガレリアも星野リゾートの名称にかわりましたしね。
 で、急ぎ過ぎた開発、路線の見直しの象徴ともささやかれ、開業直後には差し押さえの憂き目も見た西エリアの宿泊施設は,スポルトの閉鎖を持って対に全てが不要になったということでしょうか。

 充分に活かされる機会に恵まれないままに迎えた終演を想像すると、やはりわびしい....。振り返ってみるとハード面での開発はココが最後。苦難の船出の目指す先は、夢幻の....でしたけど、この頃にスタッフからゲストに向けた情報紙、“苫鵡の達人”が創刊されたのでした。滞在環境は不十分ながら、スタッフとの距離がちぢまり、再会も楽しみの一つになって、我家の利用頻度も上がりました。

 揺られながらの船旅もいい思い出ですね!


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3/12/17