画面のレイアウトが乱れる方へ 更新日 23/09/17



                                
                                       




  おことわり

 こちらは、開業間もない 頃から、ある時期までのトマムにまつわる思い出話を集めたページです。初トマムの時期、関わり方で“基準”が違うため、すべての方に等しく有効な話にはなっていません。最初に「昔話をするにあたってのJUNの考え方」をご一読の上、お楽しみいただける範囲で、ご覧ください。
                              05/10/11
 



    

オリジナルのアメニティ

 1994年12月1日から企画された“WHITE XMAS VALLEY TOMAMU ”のイベントは、その後4年間、トマムの銀世界をあでやかに彩りました。

 この94年というのは、トマムと建設会社とのトラブルが報道された年で、それまでいたって順調に見えたトマムの開発にも不穏な空気があることを、ゲストが初めて知ることになった年でした。リゾートとしてこれ以上にイメージダウンはない!と、話をする機会のあった当時のスタッフのひとりは、新聞に記載された記事の影響を、深刻に受け止めていました。
  資金を巡ってのトラブル話は、長引くことなく和解が成立したようで、一般論としてトマムのイメージがそれで大きく揺らいだという印象はわたしは持ちませんでしたが、ただ訪れるたびに施設が増えていくトマムの勢いも“完成まで保証されたものではない”ことを感じたものです。
 ところが、その冬、121日間ノンストップクリスマスメニューが展開されたのです。
 JRトマム駅からインフォメーションに向かうスカイウォークにもクリスマスの飾り付け...“本州からのゲストの心をガシッっと掴んでしまった”という記事をわたしは読んだ記憶がありますが、“WHITE XMAS VALLEY TOMAMU”は、手応えのあるものだったに違いありません。この時期にトマムを訪れたゲストは、開発途中で足踏み状態のリゾートの影など感じもしなかったと思います。
 隣よりは目立たなくちゃ式の広告に興ざめしてしまう街中のイルミネーションとは異なって、隔離された大自然の中で輝く光のオブジェは、トマムの非日常性に幻想的なエッセンスを加味して、本当に美しかったです。そして、客室のバスルームには、クリスマスカラーのアメニティー!(左上イメージ。箱入り、袋入りは年度の違い)

 開業時からその時までのトマムのアメニティーは、アルファのAがデザインされたシンボルマークとトマムの名前入りのシックなもの(左イメージ)でしたから、鮮やかな赤と緑の新アメニティーを目にした瞬間は、思わずわたしも声が上がりました。歯ブラシの柄には、キチンとトマムの名前が刻まれていました。アメニティーの担当は、箱入り時代はカネボウ、その後はサンスターです。

 “ WHITE XMAS VALLEY TOMAMU”の1年目(94年12月から翌3月)は、備品のレターセットも同デザイン一新されていました。トマムで便箋と封筒を持ち帰ったのは、後にもさきにもこの年だけでしたが....小さなサプライズがあちこちに隠れている感じで、荷解きもそこそこに、“WHITE XMAS VALLEY TOMAMU”の案内に見入ったものでした。

 企画と結びついたアメニティーの感動は、グリーンシーズンにも続きました。ヴィズを中心据えてに展開された“BLUE WATER VALLEY TOMAMU”のイメージカラーはネイビーとブルーとホワイトの組み合わせ。
 クリスマスプログラムが終わった後は、元に戻されると思っていたので、夏のデサインを目の当たりにした時も、テンションが上がりました。
 
 それから4年、季節のイメージカラーと文字をデザインした グッズやTシャツが毎年販売されました。
 「今年のはどんなデザインかな?」
 ショップに向かう道すがら、高まる期待感に顔がほころんだ数年でした。

                                       05/12/22 

リストへ戻る

新千歳空港内、トマムラウンジ

 
新千歳空港が開港した1992年から短期間、ターミナルビル内にトマムのゲスト専用のラウンジが設けられていました。4階の、今はスーパーランジがある部分の奥まった一角に、かなりゆったりとしたスペースを確保したトマムラウンジは、白を貴重にした布張りのソファやライトブラウンのサイドテーブル(ガレリアロビーで見かける類いのもの)などが配置された、ホテルのラウンジを彷彿させられる、雰囲気のある空間でした。
 
 本州から新千歳空港に降りたゲストの目的先は様々...。その中で、特定の場所に向かうゲスト専用のラウンジが用意されたのですから、トマムにはまさに驚かされっ放し!

 ラウンジの利用には条件がありましたし、飛行機とJRの接続にロスタイムが少ない場合は(当時はJRの本数も少なく、空港で待ち時間が発生することがありました。)立ち寄る必要もありませんから、トマムラウンジは、わたしが機会を得て利用した時には、他に2、3組のゲストがいる程度で、盛況という雰囲気はありませんでしたけど、贅沢な“待ち時間”を過ごしたくて、JRとの接続に余裕を持たしたりもしました。
 
 短期間で閉鎖の運命をたどるとは思いもしなかったトマムラウンジのイメージは、撮った記憶がなく、手元に資料もありません。今や、夢か、幻か...のゲストを惹き付けたサービスのひとつですね。
 懐かしいです。
 
 トマムラウンジには、ALPHA EXPRESS(上、右イメージ)というトマムの情報紙が置かれていて、 『今』とそして『これから』のトマムの在り方が、インパクトのあるたくさんのイメージと共に、紹介されていました。
 行間に、夢と理想がちりばめられたプロジェクトインフォメーションは、
今、読み返しても、トキメキを感じてしまいます。

 空港ターミナルの喧噪とは無縁のラウンジで、喉を潤しながら膨らませたイメージが、2時間後には、具現化して目の前に現れる...トマムの非日常の演出は、到着以前に始まっていた時代です。
 ALPHA EXPRESS をもっと大事に保管しておくべきでした。

                                        06/01/13 

リストへ戻る


 
価値ある5千円、リラクゼーションコテージ

 右イメージは、リラクゼーションコテージの中から、ガラス越しにロゴプールを写したものです。手前に見えているバスローブ姿は主人...。撮影はおよそ10年前で、こんな使い方をするとは思いもしませんでしたから、被写体の基本は自分達...ということで、中心にドンと居座っている我が身を削除するには限界があり、足付きイメージがマシな1枚となりました。

 ヴィズの開業から数年間、大人専用のエリアとして稼働していたリラクゼーションコテージは、ヴィズ入場料とは別に、5千円の利用料金が必要な 有料コテージでした。
 ヴィズの入場料金と違って、割引も再利用の特典もなし... 回数券を作ってもらえませんか?などと言っていた我が家も、もちろん最初から利用したわけではありません。わざわざ有料スペースを利用しなくても、ヴィズは十分に快適でしたから。

 最初の利用は、グリーンシーズンのとある日、お昼過ぎに入場したヴィズでプールサイドの椅子が満席だったのが、きっかけです。パーソナルスペースを確保する為に、リラクゼーションコテージに避難したのでした。

 受付で必要事項を記入し、支払いを済ませて、好きな席を選びます。席はコテージ利用中指定席としてキープされるシステムでした。ウェイブプール側と、ロゴプール側とに出入り口が設けられてれていて、スタッフに一声かけて出た後、戻った時にはバスローブ、バスタオル類が新しいものと交換されました。ソフトドリンクはすべて無料!

 スパやサウナで遊んで戻って、乾いたバスローブを着せかけられながら「なにか、お飲物をお持ちしましょうか?」と、尋ねられてもみてください。 我が身の生活レベルを勘違いしそうになるというものです。

 雑誌、CD、液晶テレビが、怠惰な時間のお供でした。
 音楽を聞きながら、本を読み、スパで筋肉をほぐして、アイスティーで喉を潤し、お昼の注文をして、食後は昼寝をして、またスパへ...リラクゼーションコテージを利用する時は1日がかりでした。
 当時は、プールサイドのカフェテリアの他にラウンジも営業していたので、メニューも豊富でした。夕食もコテージに運んでもらって、19時を過ぎると、定番の番組を見るために、テレビもかりたものです。

 唯一の難は、デッキチェアのマットがコットン製だったことでしょうか。
 最初は肌にも気持ちよく、快適なのですが、一度塗れると、湿気がいつまでも取れないばかりか、その内に湿気った部分が冷たく感じられるのでした。戻った時には、できる限り身体の水気を拭き取って、乾いたローブに着替えて...というものの、水着までが瞬時にカラリとなるはずはありませんから、体重がかかるおしりと、髪のしずくが影響する肩の部分が湿ってしまうのですね。そこでまた、余分なバスタオルの登場です。

 自然には優しくない過ごし方でしたけど、 消費したリネン類とソフトドリンクだけでも、利用料金のもとは取れたかも...と思わせられるエリアでした。

                                         06/02/11 

リストへ戻る

お土産は100%のトマム限定物

 オールドファンでなくてもガレリアの利用経験のあるゲストなら、見覚えがあるはずのラフィングハート。
 3つの輪が織り出す豊かな表情は、開業後から数年間、ヴィスのシンボルとして,プールサイドを飾り、また、これをモチーフとした様々なグッズが、ロゴブティックに並べられていました。
 代表的な4つの表情がプリントされたスウェットやカップ、タオルなどが揃っていた1年目以降、モノクロのシンプルなシリーズ(右下イメージ参照。グラス、アッシュトレイ等もありました。)、多くの表情が集まった9パターンのシリーズ、特殊な色使いのアップもの(右下イメージ。これがラフィングハートモチーフの最後のTシャツです。)と、ラフィングハートは、今はなきヴィズのロゴショップのメインアイテムでした。

 同じモチーフによるパターン違いのグッズというのは、リピーターの食指を動かすもので、昨年買って、今年も買うと、さあ、来年もまた買いにこなくちゃ!と、再訪の目的のひとつにもなったものでした。

 数年間続いたWHITE X'MAS VALLY TOMAMU(と、BLUE WATER VALLY TOMAMU)のイベント期間中に発売されたTシャツもその種の、ゲストの購買欲を刺激する土産ものでした。
  2年目だったでしょうか...タワー、ホテルのショップでは売り切れで、クローズしていたスポルトのショップの棚に(それらしき)Tシャツを目にした知人は、フロントのスタッフに泣きついて『買わせてもらった』ものです。シリーズものが欠けるのは切ないですものね。
 それ(?)故、我が家でもたいてい複数買い。 いまだに袋に入った状態で保存されている物が少なくありません。


 今、見返しても、なかなかにステキなシリーズだと思いませんか?

 同年度で、色違いも発売されていて、順番に並べると圧巻。妙な満足感に浸ってしまいます。
 
 オリジナルの企画もの...とでもいうのでしょうか。
 トマムには、かつて、そういうグッズが多くありました。WHITE X'MAS VALLY TOMAMU 以前の『TOMAMU』モチーフのTシャツもそうでしたし、ゴルフショップには『ART』の3文字をデザインしたゴルフアクセサリーが各種ありました。
 そして、大自然と建築物の融合の産物ともいえる、トマムならではの独特の美しき景観。
 ため息を誘うようなトマムの姿は、ハガキ、メモ帳、カード等のスティショナリー、もちろん当時は記念グッズの定番だったテレホンカードに使われていたものです。(下イメージは、すべてテレホンカード)

 どれもがもう何年も、あるいは10数年も前のものですが、同じアイテムが今ショップに並んだら、迷うことなくわたしは手に取ります。
 
 ゲストが再訪することを前提にしていた頃のトマムグッズは、 時間が経ったからと言って、褪せるものではありません。落ち着いてみると「なあんだ..。」と思える程度の土産物だったら、翌年に財布の紐を緩めてもらえませんものね。

 もちろん、お菓子も例にもれません。
 『○○に行って来ました』という類いの、○○とパッケージの図柄が違うだけの、どこかで見かけたそっくりものなど、トマムのショップにはありませんでした。(あったとしても、肩身は狭かったはず。気がつかなかった。)
 黒を基調にしたシックな包装紙も印象的な、ホテル・アルファ・トマム製造、販売の“トマムサブレ”がちゃんと用意されていましたっけ....。
 
                                         
 06/05/25 

リストへ戻る



目にするのが待ちどおしい、キャッチコピー

 右はリゾートマネージメント(加森観光)運営時代のキャッチコピーとコマーシャルイメージ。
 ポスター、パンフレット、ハガキ、カレンダーなどに使用されていましたし、比較的最近のものですから、目にしたゲストも多いかと思います。
青い月をバックのものは、何か(広告関係の)賞を取ったということですし、2001年のものは、苫鵡の達人で撮影の苦労話も掲載されました。

 トマムという引力、トマムは煌めき、トマムに棲む...いずれも自然の雄大さに躍動感のある動きが折り重なって、息をのむような一瞬が生み出されていました。これ以前のものとはガラリと雰囲気が変えられた数年でしたが、とても評判がよかったと聞いています。わたしも好きでした。(リゾートマネージメント単独運営最後の年となった2003年の
ものは、私の趣味に全くあわないので、紹介をパス。当時のスタッフともがっかりのため息をかわしたものです。)

 キャッチコピーと、そしてスキーシーズンのイメージポスターは、毎年グリーンシースンの終盤に目にする事ができました。10月には、各宿泊施設のロビーにポスターが張り出されて、同じ自分に郵送されてきていたパンフレットをめくりながら、やがて訪れるトマムの冬に心をときめかしたものです。

 スキー場としてのスケールメリットと自然美を再認識させられた上記の数年間よりも前、トマムは幻想的で、ロマンティックな別世界のイメージで、ゲストを惹き付けていました。

 94年(93年から94年)、その時、日本にいる事を忘れた。
 タワーを 背景にした二人の女性をとらえたポスターは、都内の(どこだったか忘れましたが)駅構内の壁を覆いましたから、印象に残っている方もいらっしゃるかもしれませんね。非日常鳴らぬ非日本.....
 当時、トマムが目指していたものが凝縮されたコピーですね。

 その後に、おなじみの“WHITE XMAS VALLEY TOMAMU ”が続きました。

 雪が、降る。夢も、振る。
 天使に逢える、天使になれる。
 その冬を君に。その冬を君と。
 あなたに残る冬。

 今と、ターゲットの違いがクッキリ...でしょうか。

 雪原にきらめくまばゆいばかりのツリーが、この時期のシンボルイメージでした。演出が活かされた時代ですね。
 キャッチコピーが示すように、ゲストはひととき、別世界の雰囲気に酔わされました。緩斜面も、旧式リフトも、凍える寒さも何のその。自然をステージにして造られた美しき空間に身を置いて、ゲストはトマムにしかない冬を楽しみました。雰囲気だけでも満ち足り滝分になれた冬、天使が夢を降られてくれていたのかもしれませんね。

 初期のキャッチコピーはもう少し直接的で、イメージも洗練されたスキー場...というところだったでしょうか。

 シルキーエレガンス、リゾート発信基地、シルキーファンタジー、超好感度リゾート、といった端的なコピーが続きました。
 雰囲気、実態、ともに決してイメージしやすいとは言えませんが、 改めて見ると、やはり美しさへのこだわりは特別級だったのかと感心してしまいます。当初は黒と黄色がトマムカラーとして使われていた事が思い出されます。懐かしいですね。

 幾度か、傾向に変化はありましかが、キャッチコピーは常にスキーシーズンへの素敵なアプローチでした.今年のコピーはどんなだろ?と、期待しながら、シーズンの到来を待ちわびたものでした。

                                        06/12/12 

リストへ戻る



バータイムは、館内で

 
ホテルにはラ ルージュ、タワーにはアザリア、スポルトにはモンドール、アビチ、オスカーにはロビーラウンジ、そしてガレリアにはラウンジ・ラ ルミエール......トマムには各宿泊施設に、バータイム営業の施設が設けられていました。

 当時のスタッフとの雑談によると、食事を提供するレストランよりもアルコールを提供するバーを全ての宿泊施設にというのは、開発者のこだわりだったそうで、実際にアビチ、オスカーは開発途上とはいえレストランよりも先にバーコーナーが整備されていました。面白い価値観だと苦笑したのを覚えていますが、食事に関しては、必要に応じて(バス移動も辞さずに)レストランに出向く我家も、バーの利用は“ついで”感覚食事をしたレストランと同館内で営業しているか、そうでなければ、確かに、宿泊施設内にある『近さ』は、ちょっと行ってみようかという気にさせるに必要な条件だと感じました。
 アザリア、モンドール、ルミエールは、雪景色を眺めながらのひととき...内外の温度差にもかかわらず、窓ガラスが曇らない処理は、ここであらためて感心までもありませんが、思えば、夜も外にそれなりの灯りがあったのでしょうね。窓に自分の顔が反射する居心地の悪さはなかった気がします。
 それぞれの店の名前が付けられた オリジナルのカクテル(上イメージ左がルミエール、隣はVIZ)があって、もう、それがどんな味だったかも覚えていませんが....アルコールが苦手(殆ど飲めない)なわたしも、リゾートでのバータイムには酔わされました。

  ピアノの生演奏が入ることもあった(企画『ピアノと遊ぶ』)ラウンジ・ルミエールは、レストラン同様に初期は予約制で、ドレスコードはジャケット着用。このひと手間も、非日常の魅力のひとつでした。

 ガレリア開業当初は、ルミエール(レストラン)の予約時に、ラウンジの利用予定(食前酒&食後種)を併せて尋ねられたものです。
  ウェイティング・バーの利用もあたりまえ...トマムの、そんな価値観のなかで、少しばかり背伸び模して過ごした夜が懐かしいです。

 (イメージは92年のVACANZA INFOMETIONより)

                    09/04/01 

 


ルミエールの食器とカトラリー

 開発者の、リソートだからこそのこだわりの具体例の一つがルミエールでした。

 ウェイティングラウンジを備え、ドレスコードも設けた敷居の高さは、これまでのスキー場ではあり得なかった食空間でしたが、滞在型利用が基本のリピーターにはトマムらしさの象徴ともいえる、唯一無二の不可欠レストランでしたよね。窓の外には大自然、内には計算された様式美、雄大さと洗練、異なる価値観を併せて満たすルミエールは、リゾートにふさわしいレストランだったと思います。
 開業当初、真ん中のコースが2万円という都心並みの価格帯を知った時には、少なからずビックリさせられたものですが、チーズにフルーツに、甘いお菓子、プティフールにチョコレート....デザートコースも省略なしのフルラインナップの内容にはもっと驚かされましたっけ。実は、品数だけでも感激すべき安さだったんですよね!
 同種の内容をルミエール以外で求めようとすれば、地方では『存在』が期待できず、都心では見つかったとしても、価格と我家の財布の中みが折り合わず、利用は難しいに違いないことを思えば、.....今更ながら、いわゆる北海道価格に妥協せずに、最高のものを揃えて開業したルミエールの希少さが偲ばれます。

 もちろん,最高だったのはコースの品数だけではありません。むしろ料理は(残念ながらデジカメ不所持だったため、当初の資料がありませんが、当サイト内で紹介しているコースの5割~UPをご想像ください)食体験の要素の一つ。味わい以上に体験としての食を決定づけるに不可欠なものとして、開業直前のパンフレットには、テーブルウェアの質も重視したコンセプトが紹介されています。
 ボーンチャイナはアビランド、銀器はクリストフル、でしたよね。
 どちらも、アルファ・リゾート・トマムの“A”の筆記体のロゴがアクセントになっているデザインでした。トマムではそれまでも(カメリアコーナーなどで)ロゴ入りのカトラリーが使われていましたが、そちらはシンプルにイニシャルAの刻印で、ロゴはルミエール専用ででしたっけ。
 
 青と黄色の縁取りが綺麗な食器は、シンプルなのに華やかさがあって、わたしはは大好きでした。 その後、パリのブリストルのレストランで全く同じデザイン(ロゴは“B”の筆記体)が使われているのを見て、世界基準の上質を北海道のスキー場に持ち込んだトマムのあり方に、あらためて感心し、惹かれたものでした。根付くこと無く終わったバブル期の夢と判断する向きもありますが、夢に酔った時間も、理想の食環境も実在したんですものね。短い間でしたが、良い体験ができたことをよろこびましょうか。

 蛇足ながら、オードブルからコーヒーまで、全てがこのアビランドの,オリジナルのロゴ入り食器で提供されたのは、本当にわずかの間だったように記憶しています。使われなくなった理由を推察しても意味はありませんね。ただ、それとは別に、かなりあとになって、補充が出来なくなったとも聞きました。このシェイプとデザインの組み合わせはホテル仕様の注文品だったようで、アビランド社の方で、非継続品番になったとのこと...。
 ホテル需要で廃盤なんて...と半信半疑でしたが、かのブリストルで使われていた(ルミエールと同じデザインの)食器は、基本は同じデザイン(色がシックになってました)で、シェイプ(曲線使い)が違う新しいデザインに層入れ替えされていたのでした。

                                      13/01/24 

 

リゾート列車と専用駅

 北海道の過疎の村になんだか凄いスキーリゾートが出来るらしいという噂を耳にしたのは、道内在住時代....。週末の午前中に近くの山で一滑りして、帰りにスーパーに寄って、1週間分の主な食材を調達するのが冬の日常でしたから、宿泊とスキーが結び付かず、余所事に思えたものでした。

 そのリゾートにはJR の専用駅があると言う話には、便利そうだな〜と記憶に留めたものの、実はその専用駅は、もともとあった駅の駅名をリゾートの名前に変更したと聞いた時には、余所事故に、あまりり良い感じを抱かなかった気がします。多分、先にあった駅名に感情移入したのでしょうね、そこまでする?という感情だったでしょうか。ただ、感情移入したはずのもとの駅名をわたしは知らず、そこまで...という評価はひとときの暫定もので、利用後は駅名まで変更したリゾートの演出に感激しましたっけ。いわゆる『カモネギ状態』にまっしぐらというわけで....。

 関東住まいになった1年目の冬に、折角親しんだスキーとの縁を断たないためにもと計画した北海道スキーで、かのリゾートの人気を知り、予約のしにくさに、むしろ執着心をあおられて、わたしたちがキャンセル待ちにかけて入手したチケットで乗り込んだのがアルファリゾートトマムでした。

 厳密には専用駅ではなくJRの特級駅でしたが、乗降者は限りなく100%の割合で、アルファ・リゾート・トマムの宿泊者でしたから、まさに、専用駅そのもの。トマムという駅名は、専用感をいやが上にも高めて、非日常の空間を公共の駅まで拡げることになりました。
 JR トマム駅に降りたら、そこがもうアルファ・リゾート・トマム!とか言うコピーもありましたっけ...。
 で、空港からトマム駅まで、ゲストを運んでくれたのが、国内初のリゾート列車、アルファ・エクスプレスでした。その先のサホロのゲストも利用するリゾート列車で、当時はアルファ・コンチネンタルと呼ばれていた記憶がありますが、トマムの古い資料にはコンチネンタルの単語はありません。同様に2年後に登場したトマム・サホロ・エクスプレスも、資料状はトマム・エクスプレスです。正式名称はともかく、初のリゾート列車はトマム駅の到着までの2時間余り、アルファ・リゾート・トマムに向うゲストを対象にしたサービスが展開されていましたっけ。

 この時、既に液晶モニターが導入されていたんですよね。自然の美しさ、豊かな食、ゆとりの施設などなど、車内の個人モニターには、アルファ・リゾート・トマムのインフォメーションビデオがながれていたんですよね。車内で販売されていたのはトマムのオリジナルグッスで、メニュー(飲み物とアイスクリーム)もトマム使用でしたっけ。振り返ってみれば、車内でサービスに従事してたのはトマムのスタッフ?と思えるくらいに、トマム色に染められたリゾート列車でのアプローチでした。
  トマムを過ぎた痕、列車はサホロリゾートに向うゲストを乗せて先へと進むわけで、トマム駅通過後は、今度はサホロのインフォメーションがながれていたのかもしれませんが.........先に下車するものの強生みとでも言いましょうか。
アルファ・リゾート・トマムのゲストにとっては、リゾート列車もトマム専用列車の気分が味わえたのでした。

 そのうちに、トマムに向う列車はスーパーとかちやスーパーおおぞらに取って代わられ、移動時間もどんどん短くなりました。より早くトマムに到着できることを歓迎しない理由はありませんでしたけど、列車内の時間は一般的な移動時間になって、非日常への入り口は少し遠のきました。
 
 もう5年程前になるでしょうか、トマムエクスプレス運行の翌年から運行が開始されたクリスタルエクスプレスが期間限定で、復活しましたけど、パノラマ眺望仕様の一般的なリゾート列車という印象どまり....。
 オールドファンが感じたのは、寂しさと抱き合わせの懐かしさだったかもしれませんね。

注:3枚の列車のイメージは古い資料の画像を素材に加工したものす。


                                     13/04/06 

 

リストへ戻る