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 3年前、5年前、それよりももっと前.....以前にアルファリゾートトマムでいい時間を過ごした経験をお持ちになっていて、 今度、久しぶりにまた、トマムで遊んでみようかと考えていらっしゃる方を対象にしています。
 トマムは初めて...と言う方は本編「アルファリゾートトマムで快適に遊ぶ為に」と合わせて御覧ください。

 
おことわり
 コメントは、数多いゲストの内のひとりとしての見解です。
 これまでわたし自身が見聞きし、経験したことを根拠に発言していますが、トマムは運営体制を含めて、この数年、流動的でした。当サイトのトマム情報をご利用になる時には、多少の変化があることを前提にとお願いして来ましたが、2005年10月を堺に、ここで提供して来た情報の大半が有益なものではなくなります。新たな運営会社は、自社の価値観に基づいて、新たなトマムを構築するようです。

 バックナンバーマークの付いたページのトマム情報は、2005年10月以前の『在りし日のトマム』の記録として,ご覧ください。


                                   05/11/21(改稿) 
      

 いつのまにか消えたリゾート列車 バックナンバー         リストに戻る 

 今年、トマムはリゾート着工から20年目を迎えるということで、季刊「苫鵡の達人」VOL.12(2001年冬号)から、「されど、我らの時代」というタイトルの記事が連載(だと、わたしは期待しているのですけど...)されています。
 読み手の受け取り方によっては、いい時代を懐かしむ思い出話にすぎない記事かもしれませんが、(不幸なことに、相性が良くなかったという方は別として)1度でもトマムという希有な空間に身を置いた経験をもつ方なら、興味をひかれるべき貴重な証言記事です。

 開業までの道程に触れたVol.12に続いて、Vol.13の「されど、我らの時代」ではアルファ・コンチネンタル・エクスプレスが取り上げられています。
 千歳空港に降り立ったスキー客が、トマムに運ばれて行く過程で、気分はすっかりトマムという状況に取り込まれることになった、名物リゾート列車ですね。
 期間限定の臨時列車でしたから、1日の運行本数も少なかったと記憶していますが、達人の証言によると、最初は1日1往復だったようです。北海道スキーツアーのチケットの争奪戦が激しかった時代のことで、“足”の確保に必死だったわたしは(9月下旬の発売前から、旅行会社10社くらい掛け持ちして申し込んでいても、希望が叶わないこともあるほどの競争率でした)リゾート列車なるものの存在に気が付く余裕もありませんでしたが、気付いていたとしてもこの列車、“空の足”よりも予約が難しかったかもしれません。
 幸か不幸か、我が家が利用していたのは航空会社主催のパッケージツアーで(いわゆる“大手”と言われるところでしたが、お値段もなかなか強気でした)空港からトマムまでのアプローチには、たいていリゾート専用列車があてがわれていました。

 
ホームに滑りこんできた金色の車体に対して予備知識を持っていなかった私たちは、いともたやすくトマムの“思うつぼ”にはまった気がします。食前酒で酔わされちゃった、という感じですね。
 「されど、我らが時代」でも、日本初のリゾート専用列車の展望の良さや車内サービスの特異性などに言及していますけど、「そうだった、そうだった。」と記憶を手繰り寄せながら、「それに、スキー板や大きな荷物を置く、専用スペースもあったよね。」と付け加えたくなりました。
  “飛行機を降りたら、そこからもうトマム”という類のキャッチコピーがあったかどうか、ちょっと曖昧ですけど、リゾート専用列車のトマム色を思い起こすと、あったような気になってしまいます。
 添乗スチュワードがトマムのスタッフだったというのですから、まるでトマム専用列車というわたしの印象も
的外れではなかったと言えるかもしれません。

 
いえ、もちろん、リゾート列車が運んでいたのは、トマムのゲストだけではありません。
 次の‘新得’が最寄りの駅となる、サホロのゲストも少なからず利用していたはずです。でも、車内で味わえるのはトマムオリジナルのメニュー、記念のテレフォンカードにはトマムの景観(列車の記念グッズも販売されていたようですが...)ビデオで流されるのはトマムのインフォメーションなのですから、サホロに向かうゲストが、ときめいていたかどうかは疑問です。(トマムで降りたくならなかったかな?)
 とにもかくにも
大胆な企画だったのですね。



日本発のリゾート専用列車として注目を浴びたアルファ・コンチネンタル・エクスプレス。(左イメージ)
現物にまみえるまで、興味を持っていなかった為に、この記念すべき列車の写真は我が家には1枚もありません。イメージはトマムの情報紙、ALPHA EXPRESSから借りてきました。
 “コンチネンタル”は、同じく開発に携わったコンチネンタルホテル(サホロ)からきた名前のようですが、角張ったクラッシクな車体に、わたしはなぜかヨーロッパを連想していました。「ヨーロッパ型リゾート」を目指すトマムの影響だったかもしれません。

 リゾート専用列車、第2弾として登場したのが、トマム・サホロ・エクスプレス(右下イメージ)です。
 外観はガラリと変わりましたし、ネーミングもダイレクトで、わたしのように早とちりをする人間でも、リゾート列車はトマム専用列車ではないということを理解させられました。
 でも、車内のインフォメーションはトマムに関してだけだったような気がしますが...。こちらのイメージもALPHA EXPRESSに掲載されていたものです.。
 
そして、最後のリゾート列車になったのが、左のイメージのクリスタル・エクスプレスです。遅れて到着する主人を迎えに行ったわたしが、スカイウォークの小窓から撮ったものです。
 列車名から、トマムの名前が消えたこの列車は、2002年の冬の時点ではまだ現役で、南千歳のホームでスーパーおおぞら5号を(時間の余裕を持って)待っていると、トマムではないどこかへ向かうクリスタル・エクスプレスを観察することができました。


 アルファ・コンチネンタル・エクスプレスに続いて、新デザインのリゾート列車が登場する頃になると、1日の運行回数も若干増えていたのだと思います。
 我が家でも、リゾート列車の運行スケジュールに合わせて飛行機の希望時間を選んだ記憶があります。数を重ねると、感動が薄くなっていくという自覚はありましたけど、専用列車でなければ期待できない快適さがありました。
 
荷物置き場、ですね。このスペースの恩恵を受けたゲストも多いことでしょう。我が家では荷物は発送、が基本でした(体力不足で...)がスキーシーズンは、人間よりもスペースを取る大きな荷物と乗り合わせることが常でしたから、通常の特急列車を利用しようものなら、リゾート気分も木っ端みじん!
 通路に置かれた他人の荷物も鬱陶しければ、それでもそこを通ろうとする車内販売のワゴンには、「今日は休んだら?」と言いたくなりました。(言ってませんよ。いろいろと言いたかったのは販売スタッフの方かもしれませんしね。)
  網棚の上どころか網棚の下にまでスキー板を吊るされて、ぶつかるわけじゃないけど、頭の上で揺れる影に
苛立ったこともあります。フックを使っての工夫には感心しましたが(今は棚にフックをかけることはできないと思います。)他人の頭上スペースまで勝手に使うな、と言いたかった...。もちろん、言っていません。
  ですから、リゾート専用列車以外でのトマムへのアプローチは、覚悟と忍耐のスイッチをオンにして、ストレスと折り合いをつけてがんばらなくてはならないハードルでした。(トマムと無関係の観光客や帰省客、ビジネス客のハードルは、高かったことでしょうね。)
 目的地までの所要時間は、リゾート専用列車よりも20分くらいは少なかったはずですけど、みんなで仲良くスキーに行こう、と言う専用列車独特の雰囲気(とスペース)は、数10分の時間よりは貴重でした。

 冬が来ても、このありがたい列車が走らなくなったのはいつ頃からだったでしょう?
 インパクトが薄れたと判断されたからかもしれないし、トマムの方でも列車にまで構えなくなる事情があったのかもしれません。クリスタル・エクスプレスが、今も他の路線を走っていることを考えると、列車に問題が生じたわけではなさそうですしね。
 ただ、この臨時列車の撤退で、トマムへのアプローチがより早く、便利になったことは事実です。
 帯広行きのとかち、釧路に向かうおおぞらの本数も増えて、それぞれに、“スーパー”を名乗ってスピードアップも実現しています。ここに(決して速くはない)臨時列車が割り込む余地はないかもしれませんね。
 ゆっくり過ごすリゾートを提案したトマムへの行程の迅速化は、忙しい時代を反映しているようで、少し複雑ですが......やはり歓迎してしまいます。
 食前酒がないなら、待たされることなくディナーのテーブルへ、というところでしょうか。

 でも、せっかくのディナーをベストコンディションで楽しむ為に、荷物は少なめに、気持ちには余裕を、自由席(昨今は、JRは自由席利用になっているツアーが少なくないのですね?)利用の場合は座れないかもしれない覚悟も必要です。
 リゾート列車が運行していない今、リゾートが始まるのはトマムに到着してから。

 飛行機を降りた時点で油断してはいけません。

                                       02/05/23